藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

道後温泉

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前々からの約束で、友人と道後温泉に来ました。
明治27年に建築された道後温泉本館は今年10月から約9年間の耐震改修工事に
入ると発表されていたのに、よほど多方面からの要望が強かったのか、
全面休館が回避され、部分改修にて対応…ということになったようです。
 
この本館の向こうの丘(冠山)湯神社がありました。
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境内には、お菓子と柑橘の祖とされる田道間守も祀られているそうです。
田道間守は『日本書紀垂仁天皇3年条では天日槍(新羅からの伝承上の渡来人)
玄孫で清彦の子、『古事記応神天皇段では天之日矛(天日槍)の玄孫ながら
多遅摩比那良岐(但馬日楢杵)の子とされているそうで、ここにも渡来の神!?
 
しかしながら、当地冠山に元々あったのは出雲崗神社だというのです。
整理してみましょう。
 
     『延喜式神名帳』の伊予国温泉郡に「湯神社」と「出雲崗神社」あり。
       大永年間(1521-27)地震で温泉が埋没し、湯神社の社殿が大破。
                湯神社を出雲崗神社に合祀、湯月大明神、四社大明神などと称した。
       元禄年間(1688-1704)に社号を湯神社・出雲崗神社に復す。
       宝永4年(1707)地震で出湯が停止したが、湯神社での祈祷により復活。
       宝永5年(1708)、湯神社の功が認められ、相殿から境内別社となる。
       明治4年(1871)、湯神社に出雲崗神社を合祀する形となった。
 
いわゆる「軒を貸して母屋を取られる」形?
私が行きたかった朝倉市の神社にも「高良の神に一夜の宿を貸したら
結界を張られ、戻れなくなってしまった」との伝承がありました。
 
さて、夕食は道後温泉本館はす向かいの「おいでん家(か)」さん。
三津の朝市ご馳走膳(結局ご馳走になってしまいました)、3,200円でこの内容?!
さすが地元のお魚屋さんがやってらっしゃるだけありますね!
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宿泊は床がフローリングのオールドイングランド 道後山手ホテル。
朝、部屋の窓から松山城が見えました。
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最近どこへ行ってもホテルの体をなしていないと感じることが多いのですが、
さすが道後温泉。むしろ勢いが増しているように感じました。
バラの花の温泉に入り、朝食を楽しみました。
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朝食後は姫原の姫池に隣接した軽之神社へ。
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軽皇子と同母妹の軽大娘皇女については
古事記』に允恭23年立太子したのち妹と情を通じ、允恭天皇崩御後に廃太子
伊予国へ流されたのち、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に自害(衣通姫伝説)
日本書紀』では允恭24年に軽大娘皇女が伊予国へ流刑。軽皇子允恭天皇
崩御した允恭42年、穴穂皇子によって討たれたとあります。
 
そこから北上して伊予和気駅の東にある阿沼美神社へ。
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さらに松山から特急で新居浜へ。
古代に隕石が落下したと言い伝えられている場所へ行ってみました。
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こちらは↓別子銅山に近い山の中にある龍河神社です。
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かつては大変に活気のある地域だったはずなのに、今は空き家ばかり…。
下から階段で上がると大変なので、別子銅山からの牛車道を通って行きました。
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再び新居浜駅から高松行き特急に乗り、「遊」で瀬戸内の味を堪能。
引き返して、今日は自宅泊まりです。