このゲートに阻まれ撤退を余儀なくされた私。
左手の階段を登れば、急だけれど約10分で山頂へ行けると言われ再挑戦!
しかしながら、目指す「龍王池」は山頂からドンドン下るようです!?
下るということは、あとで登らなくてはならないということです。
これが桜のシーズンだけゲートが開く大麻山の駐車場ですね。
この平地が車で溢れかえると想像するだけで冷や汗が出てきます。
(ここまでの道の狭さと鋭角のカーブが脳裏に浮かぶため!?)
山頂から約700m、ひたすら下ると「龍王池」入口に到着。
さらに100mほど下ると、かつては池だった場所が見えてきました!
残念ながら、今はところどころに水溜りがある程度…。
もっと奥まで行ってみましょう。
ここが上代噴氣孔阯だったんですね!? 右奥に水が見えているような?
水が白濁しているのは噴氣孔だったから…ですか?
スケールは違いますが、造りが秋田県の唐松山天日宮に似てますね。
すると、ここも物部の祭祀だったのでしょうか?
イノシシの掘り返し方が半端なく、近くでゴトゴト音を立てています。
口コミに幾人もの方が「大きなイノシシが出た!」と書かれていたため
早く声を出して脅かさなくては!?
イノシシ以外は人っ子一人いない清々しい空間です。
気持ちよかったので、長めの神楽歌を2曲演奏させて頂きました。
ゲートまでの道や野田院古墳の画像は前回のブログにupしています。
今回は下りの画像をupしておきます。
車一台通るのがやっとなので、先の見通せないカーブではスピードを出せません。
登り口まで下りてきました。どうです、この鋭角!?
二輪なら楽勝ですが、四輪の場合、直進・迂回することを登る前に知りました。
大麻山は野田院古墳の展望台くらいしか眺望が無いので(?)もしかして
眺望はここだけ? ↓前回も走りながら撮った善通寺「五岳山」。
せっかくZOOMERで走っているのに撮りたいものが無いのは残念です…。
さて、前回は西麓の「宮が尾古墳」側に下りたら道が狭すぎて
ヒヤヒヤだったため、今回は来た道を琴平側に下りました。
先ずは大麻上地神社を訪ねて…。
ふと左手を見ると「上谷堰堤」。
"上谷"は漢字の表記はどうであれ、やっぱり"神谷"でしょうね。
古来より水不足に苦しんできた讃岐において何より大切なのは水源。
"神谷"の水を守る拠点大麻上地神社を置いた場所こそ"神地"…。
ZOOMERを置いて、"神地"を探しに奥へ奥へと歩いたものの、草が生えていただけ?!
来た道を引き返していると、小さな石碑が目に飛び込んできました!!
大麻上地神社ですよ!?
石碑がかなり小さいので、行きは草に隠れて見えなかったのでしょうか?
いや、しかし、足を踏み入れてみても、社殿は無く、石祠だけになっていました。
大麻上地神社に興味を持ったのですが、私の推測(妄想!?)の方が面白いかも?
↑画像右端が大麻上地神社の石碑。そしてZOOMERの左手はなだらかで低い崖。
というより、「上谷堰堤」に至る道で水辺に下りられるのはここだけです。
あの中央の岩盤など、いかにも祭祀にピッタリではありませんか!?
私の印象では、私有地に祖先神を祀るタイプの神社でない限り、
神社はオセロゲームの駒のように見えます。
野山の埋蔵物の所有権を主張したり、水利権を押さえたりするために社を設置。
それを他の氏族に狙われて騙し取られたり諍いになったりしてきたのでは?
第一に、古い神社には御神体山や禊をする滝や川が備わっているのが普通です。
社殿は、石段を登った小高い場所に鎮座していました。
もちろん私はZOOMERで上がりました。
見た限り、滝も川もありませんし、せせらぎも聴こえませんでした。
あれこれ考えながら帰途につきましたが、飯野山は遠いです(画像左端↓)。
そうだ、大麻山の野田院古墳と同じ積石塚古墳を見に行こう!
この位置からは夕日が見えないため、ふるさとの"原風景"を見に走りました。
小学校時代、私の家は宇多津と坂出に跨る聖通寺山の西麓にありました。
帰宅するとランドセルを置いて聖通寺山に登るのが日課のようになっていました。
当時は、もちろん瀬戸大橋はありません。
サンアンジェリーナの展望台が閉まっていたため、きれいに撮れませんでした。
この手前に、岡山側と対峙するように積石塚古墳があります。
北からでは形状がわからないため、南にまわってみました。
なんだか石が新しいようで、昔とは印象が違います。
この聖通寺山山頂に、後世「平山城」が築かれました。
それで母方の先祖が足利尊氏の命でここに派遣されてきたのです。
足利三代将軍 義満(在職1368-1394)が安芸の宮島へ参詣した折、
宇多津から平山水軍が送迎したとの記録があります。
かといってそのまま土着することもないのに、武士を続けるのが嫌になって
したがって、ここは母方のふるさと。藍川家はやはり古代「藍川郷」ですね。
そして、生涯忘れることのない私の"原風景"はこの夕焼けです。
かつて、林光(1931-2012)先生の《四つの夕暮れの歌》を先生のピアノで演奏した時
「なんでそんなに朗々と歌うんだよ」と注意されたので
「子供時代から、夕暮れと言えば、巨大な夕日が空を真っ赤に染めて
時間が威風堂々と進んでゆくイメージを持っているからです」と申し上げると
「杉並の夕日は密集した家々の隙間からちょっと見えてサッサと沈むんだ」と
作曲家ご本人のイメージをきかされて喫驚!?
私の倍くらい速いテンポで弾かれたので、ピアノに追いつけませんでした。
大好きな作品なのに、テンポの折り合いがつかず、CD収録を断念…。