藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

下毛野(しもつ けの)

足利は母方の祖先と繋がっています。
それなのに全国1,300以上の神社をまわって初めて足を踏み入れました。
避けていた最大の理由は足利尊氏の不人気かな?
 
しかも、日本の古墳時代の文化圏の1つとされる毛野が分かれたあとの
「上毛野(かみつけの)」や「下毛野(しもつけの)」のことがよくわかりません。
一大古墳地帯であることはわかりますし、ヤマト王権時代に
畿内とは別の王権があったとの説にも興味があります。
 
ただ、律令制以降の「上野国」「下野国」を
現在、「こうずけのくに」「しもけのくに」と表記する!?
ことに頭がついてゆけません。
 
そもそも「下野」を「しもつけ」なんて読めます?
「下(しもつ)毛野(けの)」を略したら「しもつの」では?
元が毛野だから「毛(け)」を入れたいというのはわかります。
しかし、「こうけ」は有り得ない!
こんなところで現代かなづかいの不備を露呈させなくても…。
「続く(つづく)」だって現代かなづかいで「つく」にされた後
心ある人たちの頑張りで「つく」に戻ったわけですからね。
 
万葉集(卷十四)には「かみつけの」とありますね(いつから「こうづけ」に?)
3434 可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武
上つ毛野(けの) 阿蘇山つづら 野を広み 延(は)ひにしものを あぜか絶えせむ
 
地名という重要なヒントに無頓着ではどんな気づきも期待できません。
 
明治の一村一社の合祀令にしても、"大日本帝国"(国家神道)瓦解後、
祖神を敬う人々が合祀された神社をちゃんと産土へ戻しています。
悪政が行なわれても、矛盾を突く努力を怠らないように生きたいですね。
 
と言いつつ、まったく下調べをせず、単に
空海がわざわざ足を運んだということは埋蔵資源があった?
という興味だけで名草巨石群へ行こうと決めたのでした。
そして切り崩された山々を目にしました。
現在も埋蔵資源が人々の暮らしに利用されているようです。
 
さて、前稿のつづきです。
名草巨石群から来た道を戻るルートを運転手さんが示して下さったので
「実は昨日、地図で宇都宮神社を2つ見つけまして(旧田沼町には4社現存!?)
その1社が今の下彦間町で元々は飛駒の駒形神社だったらしいとわかり、
どうしても行ってみたい(《其の駒》を歌いたい!!)のですが?」と言うと
「その下彦間町の北に、今も飛駒町がありますよ」とのことで、
いったん北へ進み、66号線に出て、ぐるっと南下するルートをとりました。
飛駒町は、佐野市との合併前は「安蘇郡田沼町飛駒」だったそうです。
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66号線を南下していたら唐突に神社が姿を現しました!!
藤原宗円 別名(墓碑銘)宇都宮兼綱(1033 or 43-1111)を祖とし、
下野国を地盤とした宇都宮氏が下野国一宮宇都宮二荒山神社(宇都宮大明神)
座主となったことから衣更えされた宇都宮神社です。
立派ですねぇ…神楽殿もあるようです(さっきくぐった鳥居があんなに小さい!?)
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ふふふ…ここで私はやっと神楽歌《其の駒》を演奏できました。
 
葦ぶちの ヤ 森の 森の下なる 若駒率(ゐ)て来(こ) 葦ぶちの 虎毛の駒
その駒ぞ ヤ 我に 我に草乞ふ 草は取り飼はむ 水は取り 草は取り飼はむや
〔揚拍子〕
その駒ぞ ヤ 我に 我に草乞ふ 草は取り飼はむ 水は取り 草は取り飼はむや
 
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初めて外で通して演奏してみると、やはり家での練習と違って
未習熟の点が目立ちました。今日の課題を克服せねば!
 
「彦間」という地名が引っかかり、調べた結果、駒形神社だったとわかりました。
次の宇都宮神社の住所は何と「御神楽」です!?
佐野市のHPにこうありました。
   1) 神社に奉納する神楽ではなく断崖のこと。近くに内神楽という地名もある。
     上にミをつけたのは、その崖に神が宿るものと考えたから。
   2) ミ(接頭語)・カグラという地名。カグはカクの濁音化で「欠」。
     崖などの崩壊地を意味し、ラはおおよその場所を示す接尾語。
 
私の推理はこうです(トンデモ!? 深読み?!)
「御神楽」の祖と言えばアメノウヅメ。明治以前は濁点無しも可なので「ウツメ」。
その「ウツ」の宮…だとしたら? 祭神は天鈿女命かも?
また「ヒ+コマ」=「ヒコ+マ」の例から「ミカ+クラ」の可能性も。
古代の言葉で大切なのは隠喩や掛け言葉ですから唯一の正解を求めたりしません。
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「うわぁ~、あれじゃないの?」
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「たしかに、御神楽って書いてある!」
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「素晴らしい景色だね~、川まで行ってみようか?」
と階段を下りようとした途端、「ぎゃあ~~~!!」
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声が大きいので同行の皆さんを驚かせてしまいました。
私って視力0.05なのに、瞬時にこういうの撮れちゃうんですよね…。
このあとも威嚇するように尻尾をピクピク動かして、なかなか立ち去りません。
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川まで行くことを諦めて社殿に向かいました。
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鳥居が2つありますね。宇都宮神社が被ったからでしょうか?
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社殿云々より「御神楽」の地名と地形が素晴らしい!
毛野国安蘇郡へ来られてよかったぁ…。
 
ここから再び南下して東へ進み、東武佐野線沿いに出ます。
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「多田」と言えばタタラ。そこの榊山神社のはずですが?
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出た「正一位」!? いい加減にしなさいって感じですが、厳島大明神ねぇ…。
ちょうど刈り入れをされていたので「神社へ上がらせて頂いて構いませんか?」と
お訊ねしたら、「大丈夫ですよ、今日お祭りだったから」と仰って下さいました。
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やっぱり榊山神社だった!
私なりの謎解きをしつつ、20分かかる神楽歌を演奏させていただきました。
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下りたら刈り干しがかなり捗っておられましたよ。
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子供の頃からずっと見てきた日本の風景です…。
 
そして東武佐野線沿いの293号線を南下し、加茂別雷神社へ。
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実は「菊水紋」に惹かれてやってきました。
いろいろ由緒が書かれていますが、要は
嘉永四年(1851)五月 社号を菊水神社雷大権現と称せしが
明治維新の際現今の如く改称せり」ということでしょうか。
 
非常に不思議な造りで、この拝殿から↓弊殿までの距離が異常に長く、
本殿の横へは入れないように周囲が嵩上げされていました。
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資源のあるところに人が集まり、その地を奪うために殺し合い、
歴史を重ねてゆくうちに、原初の住人も祖神もわからなくなってしまうんですね…。
 
古墳の密集地たる毛野。もう少しまわってみますか。