藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

毛野国安蘇郡

毛野国とは? 全くわかりません。
では行ってみよう…ということで、初めて特急りょうもうに乗りました。
 
現在、葛生化石館があることでもわかるように、
石灰岩(ライムストーン)アンモナイト、貝や三葉虫などの化石の宝庫!
となると古代人のにおいがプンプン!?
 
近代人では、1999年に楽譜が発見されるまで
忘れられた作曲家となっていた須賀田磯太郎(1907-52)
疎開中から他界するまで創作活動をしていました。
そこが安蘇郡になるのでしょうか?
一からの探訪です。
 
        明治40年に横浜で生まれた須賀田磯太郎は戦局の悪化と持病の肺結核のため
      昭和19年に父親の故郷 栃木県田沼町疎開、同地で終戦を迎えた。
        戦後も療養生活を余儀なくされ、戦前の受賞歴どころか存在すら忘れられた
      ように見えたのは、須賀田が音楽学校出身でなく、楽壇と疎遠だったためか?
        昭和21年、須賀田はNHKラジオから弦楽四重奏曲の作曲を依頼された。
        そこで戦前から研究していた前衛的手法を用いて「第二絃樂四重奏」"無調風"
      を書いたが演奏を拒否されてしまう。昭和21年8月4日に現代日本の音楽という
      番組で放送予定だった作品は「第一絃樂四重奏」全曲に切り替えられた。
      「第二絃樂四重奏」の初演はその55年後だった。
        須賀田が疎開中から書きためた作品が田沼町の蔵で発見されたのは没後47年
      を経た1999年であった。
 
日本の作曲家の苦労が伝わる話ですが、戦争は
楽家に限らず全ての人の運命を変えてしまいます。
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須賀田磯太郎が眠る慶安寺(現 佐野市)
 
さて、今日は足利市駅から5時間の予約でタクシーに乗りました。
最初は山歩きをして2時間後に迎えに来て貰うつもりでしたが、
日曜で台数が少なく、再度呼ばれても何分待ちになるかわからないと言われ…。
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最初に駅近くの機神山(はたがみやま)山頂古墳へ。
古墳とトンボ! 秋津島ですねぇ。
現存する山頂を利用した数少ない前方後円墳機神山古墳群中の1基。
全長36m以上の2段築成で古墳時代後期(6世紀後半)の築造と考えられています。
クロアゲハのお出迎え!?
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この機神山中腹に1705年に創建されたのが足利織姫神社です。
もちろん社殿は見ていませんが、神社へ下りる道にも蝶々が!?
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機神山からは足利市内を一望できました。
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次に目指したのは蔵王権現古墳です。
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神社の階段を登ると、数人の方がお祭りの準備をされていました。
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「古墳はどこですか?」と尋ねると、親切に案内して下さいました。
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この急坂は滑ります。前日のような雨ならとても登れませんでした。
 
「今は見てもよくわかりませんが、この前が古墳になります」
「奥まで入っても大丈夫ですか?」
「いや先日もマムシが出たんで…」
「では、ここで神楽歌を一曲やらせて下さい」とお願いしました。
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前方の藪へは入れませんでしたが、お祭の準備で周辺の草が刈られていました。
 
ここから更に北上し、昭和14年に国の天然記念物に指定された名草巨石群へ。
巨石群のもととなった花崗岩体は直径1.5kmの岩盤で、
石英・斜長石・カリ長石・黒雲母などから成り立っているそうです。
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いやもう大き過ぎて全体を撮るのは困難です。
ただ、巨石の上に祠が置かれていたので信仰の対象だとわかりました。
 
当初この道を下って名草厳島神社へ行くつもりでしたが、前日になって他にも
行きたい神社が見つかり、当地に空海弘仁年間(810-824)に祀った弁財天を
文禄5年(1596)に領主の本庄因幡守が遷座させたらしいとのことで今回はパス。
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