藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

山城町→井手町

山城国2日目の今日は
山城町童子(しんどうじ)不晴谷(あけずたに)という難読地名を訪ねました。
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「不晴」ではなく「晴れ」ています。
 
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神童寺の「縁起」によれば、 聖徳太子が創建した当山で役行者が修行した時、
二人の神童の助力を得て本尊の蔵王権現像を刻んだのだとか。
大和の"吉野山"に対し、"北吉野山"と号する当山所蔵の絵図からは
付近一帯に二十六もの坊を擁していた最盛時の様子が伺えるそうです。
のちに全山焼失し、応永13年(1406)に現在の本堂が再建されています。
 
ここから更に細い坂を登ってゆくと天神社がありました。
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個人的には、北吉野山神童寺からは吉野の雰囲気を感じとれませんでしたが、
二人の神童を祭神とするらしい天神社からは吉野の空気を感じました。
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京都府の資料には「天神神社」とあり、室町時代ということは
神童寺の本堂と同時期に建てられたということでしょうか?
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朝9時過ぎ、麻のコートを羽織って演奏しています。
 
が、次の綴喜郡井手町井手東垣内の玉津岡神社では七分袖のワンピース!?
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ユニクロのダウンベストを羽織り、この後は帰宅するまでコートなしでした。
ここ玉津岡神社では宮司さんに貴重なお話を伺うことができ、
また本来なら入手できるはずもない冊子を2冊も頂戴しました。
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初めて拝見したこの神紋に纏わるお話に驚愕しました。
 
今日は奈良から北上するコースなので、次に
綴喜郡井手町多賀天王山の髙神社へ向かいました。
実は縄文のストーンサークルがあるらしいとの情報を得ていたので
楽しみにしていましたが、時間がギリギリで探せませんでした。
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こちらが拝殿のようです。
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奥が本殿かと思われますが、ストーンサークルとの関係はわかりません。
振り向くと、当社の名物(?!)らしい巨大な絵馬が飾られていました。
氏子の皆様がお正月のための大工仕事をしておられたので早々に失礼しました。
 
新年の雰囲気をどうぞ↓
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昨日今日と、滞在時間22時間の山城国探訪でした。