骨置神社という社名を見つけ、何事かと思ったからです。
…というか、先祖の遺骨を守るのが神社の起こりだとしたら
極めて自然な本来あるべき形でしょう。
その帰途、前々から気になっていた丹倉(あかくら)神社へ。
社殿も祭神もない神社です。
外国人に評判が良いと、運転手さんが仰ってました。
が、こういう「無」の空間に何かを祀り、神社と呼ぶことに違和感をもちます。
歪な石段を下りたくなくて「ここで結構です」と申し上げたのに、
運転手さんがどんどん下り始めたので、やむなく従いました。
下りた以上、上がらなくてはなりません。ああ、しんど…。
こののち、下の展望所から撮った↓大丹倉(おほにくら)へ登りました。
「段差がなくて降りられなくなると困るので登りません」と言っているのに、
76歳の運転手さんがスタスタ登られるので、私も登ってしまいました!?
今度は私がてっぺんに立ち、下に移動された運転手さんを撮影。
楽器ケースを持って行かなかったので、下りも楽勝でした。
この時すでに17:15。熊野市のホテルまで45分ほどかかって真っ暗になりました。
さて、昨夜はホテルのダニに邪魔されて2時間しか寝ていないため、
熊野市~北山村の前半は帰途up致します。
日本の場合、私はどんなホテルでもダニに噛まれて眠れないため
ランプベルジェを持ち歩いています。
これで大抵は事なきを得るのに三重県のダニには効きませんでした。
(10/12にTVのダニ特集をみて判りました。↑ダニではなく死骸だったからです)
松阪市でも熊野市でもコロコロペタペタの粘着テープをフロントで借りて
寝具や絨毯を何度も掃除し、やっと2時間ずつ寝られました。
体調に変化はありませんが、昨夜は25,000円の部屋だったので絶句…!!
とても不幸な感じがします。
が、旅そのものは順調でした。
生活用品などが出土している新鹿(あたしか)でした。
この駅は電車の本数が少ないため、熊野市からタクシーで行くほかありません。
要するに、北山村を目指す場合、いったん熊野市駅まで戻ることになります。
それでも、この地名を知っては看過できませんでした。
湾の奥という、シカの海人の好む地形です。
徳司神社の社殿は小ぢんまりしていますが、奥の社叢が素晴らしく、
社叢大好き人間の私はここで30分も演奏修行してしまいました!!
石段で出会ったニコニコ蟹!? 伊勢の朝熊神社でも出合いがありましたね。
よって、最初に稲搗き蟹の神楽歌を演りました。
熊野市駅へ戻ってから大馬神社へ向かったものの、運転手さんが突然、
「反対方向になりますが、ここを右に曲がると水大師があります」と仰います。
「何分くらいかかりますか?」
「5,6分ですかね」
もちろん5,6分は嘘で、往復で30分近くロスしてしまいました。
何で岩の上に?
どんなに晴天が続いても涸れることなく清水が湧き出ていたと言われます。
熊野年代記に「宝暦三年(1753)癸酉木本奥に石地蔵あり、
不思議のことどもあり、遠近夥しく参詣す、天宝十年(1839)已亥
井土の山中に水出る参詣人多し」と記されているそうです。
住所は、熊野市井戸町でした。
ここから大馬神社へ向かいましたが、当社は奥の滝まで
徒歩で10分以上かかるとのことで橋を渡ることなく退散!?
何をやっていることやら…。
しかし、ここから北山村へ向かう道で、運転手さんに
と教えていただきました。
さあ、いよいよ骨置神社です。
案内板に「こうず」とありますが、「置」は「ち」です。
サ行音ではないため濁音は「ぢ・づ」。
運転手さんに「こづ(dzu)神社まで」とお願いしたとき、即
「こづ神社ね」と仰って下さり、「こーず」とは発音されませんでした。
祭神は、何と、かの大塔ノ宮の子と伝わります。
それで「小大塔ノ宮」なんですね…。
竹原氏との子孫がおられたとは!?
殺された可能性があるとか無いとか、詳細はわからないそうです。
道にピッタリ寄り添っている石段を登ると瀟洒な社殿が。
竹原集落のみなさんが大切に若宮をお祀りしている様子が窺えます。
「東牟婁郡北山村」ではもう一社 勝手神社へ行きます。
このまま北山川沿いに北山村役場の方へ進みます。
役場の前でちょうど川がV字を描きます。
そこを過ぎると、右側に階段があるはず。
「あ、ここです!」と言って一人でどんどん上がってゆきます。
本家本元 吉野の勝手神社は2001年に不審火で焼失しています。
吉野山勝手神社の創建年代は不詳ですが、
『日雄寺継統記』によれば、孝安天皇6年となっているそうです。
「をとめども をとめさびすと~」と歌ったところ、
二人の神女が舞い降りて、五度袖を振ったと伝えられています。
それで、勝手神社背後の山を「袖振山」と称ぶようになり、神女が五度
袖を振りつつ舞ったことが宮中の「五節舞」の起源になったと言われます。
北山村の勝手神社にて演奏修行させて頂きました。
今回も収穫の多い旅になったことに感謝するばかりです。