藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

将門ゆかりの神社

平將門(903?-940)はなぜ今も愛されているのでしょうか?
坂東平氏」すらもよくわからない私ですが、
長いあいだ重い負担を課せられてきた東国の民が
朝廷に反旗を翻すかたちになった將門を慕う気持ちは理解できます。
遠く離れた朝廷の支配よりも、関東・東北の実情を知り尽くした
ヒーロー將門に尽くす途を選んだのでしょう。
 
將門と臣下の子孫の多くが、未だに
將門調伏のため下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行なったことを開山起源に
持つ成田山新勝寺へ参詣しないという点にも將門愛を感じます。
折にふれ、そんな將門ゆかりの寺社に足を運んでみようと思います。
 
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こんな風景が広がる牛久市猪子(ししこ)町です。
しかし、GoogleMapには名称すら記載されていません。
以下↓遺跡ウォーカーのページにリストアップされた牛久市猪子町のデータです。
 
          牛久市猪子町197~9 守子橋遺跡
          牛久市猪子町301~2 中宿遺跡
          牛久市猪子町632    宮坂古墳
          牛久市猪子町661ほか  道山古墳群
          牛久市猪子町670    道山下遺跡
          牛久市猪子町961~3 山際A遺跡
          牛久市猪子町995-20 前山窪遺跡
 
猪子町のすぐ北がつくば市大井、その先が樋の沢です。
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道沿いにお寺のような建物が見えました。ここが月讀神社のようです。
將門が壮絶な死を遂げた5年後の天慶8年(945)、將門の護持仏であった
勢至菩薩を本尊として創建されたといいます。
当時は神仏習合でしたが、明治政府による神仏分離令
勢至菩薩月讀尊として祀られることになりました。
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現在の社殿は寛永5年(1628)に建立されたものだそうです。
非常に珍しいものを見つけました。
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本殿の真裏からも参拝できるようになっていたのです。
右手には樹齢約700年以上とされる樹高約30m、幹回り約8mの
御神木(椎の木)がありました。
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勝手ながら、ここで演奏修業をさせて頂きましょう。
朝廷が天照信仰ゆえ(?)月讀(ヨミ)尊の神楽歌がないのだと想像していますが、
「黄泉(ヨミ)」の歌詞が出てくる歌と『神擧』を練習しました。
道路を行き交う車の音がするものの、邪魔をされることなく演奏できました。
このところ外で練習を積んだことで、演奏するのがやっとだった『神擧』が
緩急を自在にとれるまでになってきました。
演奏時間17分を長いと感じていたのに、今日は短く感じました。
もう一度頭から繰り返せるくらいまで攻めてこられたのです。
 
気分良く次の鹿島神社を目指します。
わずか10分ほどの距離でしたが、山あり谷あり…で、
太古は島から島へ移動するといった地形であったらしいと感じました。
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つくば市若栗の鹿嶋神社の祭神は武甕槌神
天慶2年(939)、將門が国府を攻撃するにあたり、戦勝祈願のため
社領を寄進し創建したと伝えられているそうです。
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この蛇を模したような特徴的な鳥居の注連縄は、出雲地方でも見ました。
松江市東出雲町出雲郷(あだかえ)にある日本三大船神事の一つとして有名な
ホーランエンヤ」の出発点 阿太加夜(あだかや)神社で。
その御神木に巻きつけられた↓龍蛇の注連縄に似ています。
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尊敬する民俗学者 谷川健一先生の『蛇:不死と再生の民俗』の中に
 『出雲風土記』によると、出雲郡に宇賀の郷がある。
 ここは「御崎」(日御碕)の海子(あま)の活躍したところで、海子と海蛇(ウカ)の関係が
 浮かび上がる。出雲の古社は、杵築大社、佐太神社、日御碕神社、美保神社のすべて
 が、海蛇を神とあがめ、「龍蛇さま」と呼んで祀っており、海蛇と神とのつながりが
 きわめてふかい。とあります。
 
「鹿」を祀る鹿島と「海蛇」を祀る出雲を海人族として一括りにしてよいのか?!
となると、將門が創建したことになっている神社が創建当初から
鹿嶋神社だったのかどうかを確かめる必要があるでしょう。
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將門が創建したと思って見ると、驚くほど小さな社殿です。
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裏へ回っても本殿はなく、椿の木に注連縄が!?
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広い社叢には石祠が点在しています。
やたら鹿島神社香取神社が多い地域ではありますが、
神社をオセロゲームの駒(石)、国取り合戦の一環と考えたら
ヤマト王権以前の祭祀があったとしても不思議ではありません。
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帰途、五十瀬(いそせ)神社の前を通りました。
こちらの詳細は判りませんが、他地域の五十瀬神社の祭神は天照皇大神
安曇のイソラではないことが残念でした。
 
さらに進むと左手に日吉神社がありました。
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いずれもバイクを下りることなく失礼しました。
 
ここから泊崎までは数分という感じだったのですが、
今日はパンを持っていなかったし、早めに帰宅することにしました。
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ところが、牛久沼水辺公園手前の土手から泊崎を見たら、
前にパンをあげた船着き場あたりに白鳥が見えました。
時刻は16:44。これからスーパーへ行って往復50分を費やせるか…?
と考えているうちにスーパーで食パン2斤を買って泊崎へ。
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賢いオオハクチョウはもうここへは来ないでしょう。
巨大なコブハクチョウが他の白鳥を攻撃するのを見てしまいましたから。
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いつもの船着き場へ移動するとコブハクチョウがいました!
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すぐに近づいてきます。
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2/10以来ですから、とてもお腹が空いていたようです。
2羽で2斤をペロッと平らげました。
オス白鳥は今日も私の手から直接もらおうとしました。
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「もう御馳走さまだよ」とお行儀よく並んでいます。
これが普通の白鳥ですよね。
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帰ろうとしたら、散歩中のお姉さんに話しかけられました。
6羽のオオハクチョウの写真を見せてくれました。
心配していたのは私だけじゃなかったんだ…!!
私見ながら、牛久沼水辺公園から遠ざかるきっかけになったと思われる
コブハクチョウとの経緯などお話ししました。
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今日、バイクをとばしてパンを持参した御褒美は、この夕焼けでした。