藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

浅間大神~泊崎

「さあ、今日はどこへお散歩に行こうか?」
昨日お散歩に連れて行かなかったので物凄い催促です。
白鳥さんが気になるので、やっぱり泊崎かな…と考えて、
以前チェックしたのに忘れてしまっていた浅間神社へ立ち寄ることに。
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うちから香取海(かとりのうみ)を北西に直進し、右折して細見橋を渡って
南東に下ると泊崎ですが、私は古代の「島=岩礁?」を通らずに
すぐ右手の農道に入ってしまうため存在を忘れていました!?
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このこんもりです。地図に浅間神社とあります。
一人では絶対に怖くて登れない…
夏場はきっとマムシが出るに違いない…
今しかない…ということで、アーニャに助けを求めた次第。
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「行くにゃ~」
と、どんどん階段をのぼってゆきます。
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これだけじゃ貝塚とは言えないけれど、太古は波打ち際だったに違いない!?
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階段のあとは、人一人がやっと通れる道でした。
ここでV字に折り返して更に登ります。
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あ~~、すでに「浅間大神」の石碑のみになっていました!!
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ふと右手を見ると、円形の古代祭祀場を思わせるピークがありました。
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登ってきた道の反対側には、細見橋へ続く道と、西谷田川の対岸が見えました。
対岸のちょうど真正面あたりが1/10に行った浅間神社です。
 
香取海の時代、ここは北西の対岸から続く丘陵地帯の前にポツンとある岩礁
海人族の好きな「近(チカ)の島」であったことが想像できます。
(「チカの島」→「シカの島」のピークには祖先神が祀られていたことでしょう)
ちなみに対岸の丘陵地帯の先端部には戦国時代に足高城が築かれていました。
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城跡へ行く気はしないので、今日は富士山を遥拝する「浅間大神」の石碑を
眼下に演奏修業をすることに。
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アーニャは演奏していた約25分間、ずっと膝の上で聴いてくれました。
「楽器を片づけたら、お散歩に行こうね」
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落ち葉で滑りそうな下り坂ですが、落ち葉を除けると岩盤が見えました。
盛り土をして浅間神社を築く「富士塚」と違い、岩礁をそのまま利用したようです。
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細見橋へ向かう道で振り返ると、やっぱり「近の島」でした。
 
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泊崎には今日もオオハクチョウさんは居ません。
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「どこに居るのかなぁ…?」
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「居た!!!」
どちらの岸からも遠い場所に成鳥4羽と幼鳥2羽が居ました。
牛久沼へは帰ってきたんですね…。
でも、人ともコブハクチョウとも距離をとっています。
今日はもう一つの船着き場まで歩いて行きました。
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あ、あのペアが早速われわれを見つけて近づいてきました。
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以前せせらぎ池にいたペアにそっくりなのですが?
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決して争わずにパンを食べます。
私が投げ損ねて壊れた舟に入ったパンは放置…。
あとでクロガモさんたちのごはんになったことでしょう。
どこかでたくさん食べたのか、あまりガツガツしませんでした。
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帰途、対岸の牛久沼水辺公園の土手からも6羽を撮りました。
また様子を見に来ましょう。