藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

5年前の反省

2013年元旦、家人の友人と初詣に行くことになりました。
前年の4月から演奏修行を始めたばかりの私。
当時はまだ、ここと決めた場所で一曲演奏するのがやっとでした。
今のように10社以上まわってその全てで演奏できるようになったのは
ここ2年ほどのことです。
 
「新木の葺不合(ふきあへず)神社へ行きたい」とお願いしておきましたら
当日、車で迎えに来て下さった際に「折角の機会だから」と
平将門絡みの場所も案内して下さることになり家人は大喜び!!
今の私ならこちらからリクエストしたいくらいですが、
当時は「将門?」という感じで気乗りがしませんでした。
なにしろ宗教も怨霊もオカルトも大っ嫌いなのですから(今は研究対象です)
 
今日通りかかった岡堰↓。5年前に案内して頂いてました。
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この手前の道で見覚えがあると気づきました。
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このあたりの寺院も見てまわりました。
今日バイクで走っていて見つけたのがコレ↓
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このあたりに将門の愛妾 桔梗姫の朝日(旭)御殿があったとか、
毎朝日の出を拝みつつ将門の武運を祈っていた桔梗姫が
将門最期を知って城下の沼に入水したとか、
大日山古墳には将門が第三の拠点となる城館を構えていたとかの言い伝えも。
 
節分の今日、立春を前に《大直日歌》を歌う場所として選んだのが
偶然にもその大日山古墳だったわけです。
古墳時代後期の円墳ですが、地元では将門の墓と言われているそうです。
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高さ2.8m、底経18mの円墳だそうですから、あれかな?
中央右に横たわる平べったい台地↑
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やっぱりこの形だ! モロ逆光ですみません。
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上の画像の反対側へまわってみました。ぐるっと周囲を走れそうです。
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現在、大日山古墳の上にあったのは、将門の城館ではなく岡神社でした。
それにしても、この階段!? 奥行きが20cm未満です!!
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上りはまだしも、下りは大変です。
人工的建造物に興味が無いので社殿の基礎部分を一周してみました。
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うわっ、明治の一村一社の際、こんなに合祀しちゃったんですかね?
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こういう物も本当に苦手です。出来れば目にしたくない…。
私には、モノを拝むという行為は不向きです。
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裏へまわったら結構ひろびろしていて、まだ雪が残っていました。
しかし、よそ様の墳墓の上で何をしていることやら…。
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社殿への階段は一歩もあがっていません。この位置が限度ですね…。
ちょっとした休憩所があったので和琴ケースを置かせてもらいました。
 
大直日とは記・紀にみえる神で、大直毘とも書きます。
黄泉(よみの)国から戻った伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が禊(みそぎ)をしたとき
最初に生まれた八十枉津日(やそまがつひの)神の「枉」を直そうとして
次に生まれたのが神直日(かむなほびの)神で、
異常でけがれた状態をただしくなおすと辞書にありました。
 
大直日歌
あらたしき年のはじめに かくしこそ 千歳(ちとせ)をかねて 楽しきをへめ
あらたしき年のはじめに かくしこそ つかへまつらめ 萬代(よろづよ)までに
 
奈良の大仏さんの開眼供養会(752年)における演奏記録もあります。
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16時過ぎの太陽がこの位置ですから、岡神社は南東に向いてますね。
というか同じ水神を祀る立木貝塚蛟蝄神社を遙拝しているかのようです。
『神社誌』によれば祭神は水波女命(水波能売命)岡神社と称する前は龍神
名称はどうであれ「ミツチ=龍蛇?」の神社であることは、古代、
ここから立木貝塚を含む地域が汽水湖であった説ともつながります。
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ここには将門の城館に関する記載はありません。
史実と言い伝えの境界線を引くのは本当に難しいですね。
 
さて、5年前の記憶が蘇ってきたので、この地区の蛟蝄神社へ行くことに。
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そうそう、この配置でした。今は道路脇に位置しています。
5年前に友人はここでの奉納演奏を希望していたようでしたが、
下総国延喜式内社蛟蝄神社の分社に過ぎないとの判断で行ないませんでした。
その後の調べで、16世紀に下総の和田郷から移り住んだ和田家が氏神として
藤代和田の地に蛟蝄神社を創建したのだとわかりました。
しかも、岡神社と同じく利根町立木貝塚蛟蝄神社の方を向いてますよ!?
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昨日行った笠貫沼に近い利根町の立木貝塚にある蛟蝄神社の正式な発音は
延喜式神名帳にある「ミツチノ」で、現在は「コーモー」と呼ばれています。
とにもかくにも5年前に果たせなかった奉納演奏をさせて頂き、
夕方5時のチャイムと同時にエンジンをかけました。
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岡堰の方角を見ると、太陽が沈むところでした。