藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

小貝川と貝塚

筑波山周辺へ通っていた頃、全国の蚕影神社の総本社を名乗る蚕影神社へ行き、
このあたりが養蚕に関わる土地だったことを知りました。
蚕影神社の古名は蚕影山桑林寺・蚕影明神等で、鎮座する山は子飼山・蚕飼山。
近くを流れる鬼怒(キヌ)は"絹"や"衣"の字をあてられ
小貝(コカイ)は"蚕飼"と付会させられていました。
しかも鬼怒川小貝川の間隔が最も狭くなっている場所の地名が"小絹"!?
バイクで走りながら住所表示に驚いた記憶があります。
 
そのせいで、すっかり小貝川=蚕飼川のイメージにとらわれてしまっていた私。
今回小貝川周辺の貝塚へ行ったことでヤマトシジミの小貝か…と腑に落ちました。
 
縄文時代の地層の上に弥生時代古墳時代の生活が被さって新たな地層が
形づくられてゆく過程において、産業が変われば人の移動もあります。
氏族が変われば氏神も変わるので、神社の名前や祭神も変わってゆきます。
 
蚕影山桑林寺は天竺の"金色姫伝説"(539-571年)によって、
日本における養蚕技術伝来の地を名乗りました。
しかし、紀元前の貝塚とは時代も次元も違います。
現在の社名や祭神をもとに語っても始まりません。
そこで今日も小貝川沿いを走り、足で稼ぐ(実感を得る)ことにしました。
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ここは小貝川利根川に挟まれた取手市野々井です。
野々井の五十塚遺跡から縄文土器が出土したとのことで検索しましたが、
場所がわからず、やむなく同地区の白山神社へ行ってみることに。
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鳥居が見えているのに入口がわからず裏から入りました。
小さな丘全体が社叢を形成しているようです。
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反対側まで歩くと鳥居がありました。この道幅では入れません。
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よく調えられた神社で、境内には合祀されたらしい石碑がたくさんありました。
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そこここに点在しており、ゆうに百を超えそうな感じです。
 
「さあ演奏修行だ!」と意気込んでみたものの、シートがありません!?
今日は距離があるのでアーニャを置いてきたら、シートも忘れてしまいました。
しかたがないので地べたにそのまま座りました(修行なので…)
今日も約30分の中に《神擧》を入れてます。
2オクターヴ上昇する箇所は少し安定してきましたが、
細かい動きが粗くなっていました。これは自宅で丹念にやり直さねば。
明日からは自宅練習に切り替えます。
 
取手市貝塚という住所を見つけたので行ってみようと思ったのですが、
その前に近くの寺田にあるという相馬惣代八幡宮へ。
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惣代八幡宮縣犬養家の居城だったと言い伝えられているそうです。
縣犬養家と言えば海人族ではありませんか!?
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たしかに神社が単独で在ったというより居館の敷地内にあったという風情ですね。
なぜ来てみたかと言うと、平将門(903-940)の母 縣犬養春枝女の出身地で、
この地で生まれた将門が「相馬小次郎」と称していたからです。
当社を大同2年(807)山城国石清水八幡宮から勧請した際、
ここは相馬郡でした。それで社名が相馬惣代八幡宮なのです。
2/3に行った岡神社のある大日山古墳から直線で僅か1.7km。
取手市に将門の伝説や史蹟が多い理由がわかりました。
 
いま気づいたのですが、将門の母が縣犬養氏ということは、
縣犬養三千代を母にもつ橘諸兄(684-757)と同じ海人族とのハーフなのかも?!
 
地図で見た貝塚という住所に稲荷神社がありました。
赤くない稲荷だというので目指しましたが、到達できません。
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良い雰囲気ですが、私有地のようですね…。
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神社への道が見つからないので裏へまわってみたら、雪!!
この先、雪が切れた左手が先ほど施錠されていた竹林の奥のようです。
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真ん中の掘り出した土に貝が混じっているように見えますが?
住所に違わぬ貝塚でしょうか?
囲いがあって入れないため先へ進みますが、地図にある道がありません!?
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いったん退却。あのこんもりの中に稲荷神社があるはずなのですが…。
 
ここから2-3分で小貝川に出ます。その手前に市之代古墳群があります。
地図では取手市農業ふれあい公園に隣接しています。
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道がカーブしているため、かなり下ったところで小貝川が見えてきました。
小貝川沿いの高台に農業ふれあい公園がありました。
しかし、農園しか無く、係員の方も「古墳など知らない」と仰います。
地図を見せて奥まで行かせて貰うと囲いがあって中がよく見えません。
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やっと撮った一枚ですが、奥にまだあるのでしょうか?
ここでは何もわからなかったので検索すると埼群古墳館のページにありました。
 
さて、貝塚へ戻って稲荷神社を探します。
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こんな道、進んで大丈夫でしょうか? まさか行き止まりじゃありませんよね?
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あ、やっぱりここにも合祀の嵐が?!
来た道を直進すると、徒歩ならクリアできそうな道が見えてきました。
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ここを上がって来るのはハードル高すぎですね。社殿へ戻りましょう。
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たしかに赤くない!! 創建は長治元年(1104)、祭神は豊受姫命だそうです。
伊勢の神宮外宮に奉祀されている豊受大神のことですよね?
すると丹後宮津の(この) 神社の祭神なので海人族の斎く神?
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赤いイナリ信仰は仏教とともに空海がもってきたとも言われているため、
大海人皇子=天武天皇式年遷宮などを整えた伊勢の神宮よりは新しい。
しかし今、多くの日本人はヒンズーのダーキニーも日本の豊受大神
一括りに「稲荷」として混同しているのではないでしょうか?
ここ貝塚に建つ稲荷神社はトヨウケ(トユケ)=倉稲魂命(うかのみたま)でした。
ところが、撮影しながら周囲を廻ると、どうも雰囲気がおかしい…。
社殿のあるこんもりの西側が谷(ヤツ・ヤト)なんですよ!?
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全く手がかりがないため調査が必要ですが、蜘蛛窟のような雰囲気が漂っています。
創建が1104年なら或いは将門の蚕飼川の戦い(子飼渡の合戦)等における
犠牲者を追悼するために子孫が神社を建てたか…(妄想わきまくり!?)
逃げ出したいような雰囲気の中、何とか豊受大神の神楽歌を演奏しました。
 
帰り道は小貝川に沿って土手を走るルートを選びました。
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バイクのバックミラーには夕陽しか映りません。
ずっと夕陽に追いかけられながら走りました。
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北を見ると筑波山のシルエット。
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南西を見ると、小貝川の向こうに富士山。
何と贅沢な時間空間でしょう。大自然への感謝のみです。