藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

足高稲荷神社

アーニャの散歩がてら、先日行った足高(あだか)地区の足高貝塚
足高稲荷神社へ行ってみることに。
いつも当たらない天気予報が今日もハズレました。
イメージ 1
午前中から夕方まで、ずっと晴れの予報だったのに、
家を出た15時過ぎまで窓から光が射し込むことはありませんでした。
ここは先日行った足高八幡神社へ向かう浅間大神の交差点です。
しまった!! iPadを忘れてきてしまいました。
家を出る直前にセットした進路を思い出しつつ行ってみるほかありません。
イメージ 15
もともと方向音痴の上に、初めての場所ですから土地勘もありません。
適当に走っていると↑こんな(近代の?!)住居跡がありました。
貝塚を探してるんだけど…?
尋ねようにも人にも車にも出会いませんでしたが、この先に農家の方が。
 
「すみません、足高貝塚を探しているのですが?」
「え? 地元の者だけど聞いたことがないねぇ」
「この先の神生(かんの)には貝塚と古墳群があると市のHPで見たのですが?」
「知らないねぇ、貝塚なら東栗山の方にいくつかあるけど?」
「そうですか…有難うございました」
 
しばらく適当に走っていたら、ここかな? と感じる場所があったので
反対側の空き地にバイクを停め、アーニャと歩いてみました。
イメージ 3
坂を登ったら土が階段状になっていたのであがってゆくと人家が見えました。
(実は、このお宅の向こうが足高稲荷神社でしたが、ここからは行けません!?)
こりゃ不法侵入だ…とばかり下りて再びバイクに乗り、近所の人を探しました。
路地を覗くと年配の女性の姿が見えました。
 
「すみませ~ん」と呼びかけるとバイクの方へ来て下さいました。
「申し訳ありません。足高貝塚を御存知ですか?」
「いや、嫁に来て50年になるけど聞いたことがないねぇ」
「そうですか…、では足高稲荷神社は?」
「今あなたが来た方向にあるよ」
「じゃあ、この道を戻って左折ですか?」
「そうそう最初の角を曲がると暗くておどろおどろしい感じの道だから…」
「はい、さっき見たら怖くて入っていけませんでした」
「そうでしょ、その次の道を、そこも狭いけど車がやっと通れるから」
「わかりました! 有難うございます、助かりました」
イメージ 2
さっきバイクを停めた場所から左折して先の見えないクネクネ道を行くと
三叉路に出ました! まさか古墳じゃないですよね?
さっき教えて頂いたおどろおどろしい感じの道がこの左手なんですね。
右の道は直進って感じなのですが、たぶん神社はすぐ右のはず。
イメージ 4
すごい…。方向音痴の私がこんなに冴えててよいのでしょうか。
そして、この〆縄は例の龍蛇を模したものでは?
 
私が香取海の入江というか沿岸線の台地にある貝塚に興味を持っているのは
縄文時代からの集落がある場所なら人の暮らしに適しているのはもちろん、
そこに埋蔵資源でもあれば、朝廷は征討軍を派遣してでも
奪いたかったはずとの妄想が膨らむからです。
 
また、香取海の南側にあたる取手市貝塚という住所にあった
稲荷神社が「キツネ」を祀っていなかったことも引っかかりました。
 
神道稲荷神社とは『古事記』『日本書紀』などに記載された
宇迦之御魂(うかのみたま=倉稲魂命)神、豊宇氣毘賣(とようけびめ)命、
保食(うけもち)神、大宜都比賣(おほげつひめ)神、若宇迦賣(わかうかのめ)神、
御饌津(みけつ)神など、穀物や食物の神を主な祭神とするそうです。
 
現在の稲荷神社についてはまだよくわからないのですけれど、
少なくとも、伊勢の神宮外宮に奉祀されている食物の神を祭神とするものと
ヒンドゥー教ダーキニー(=荼枳尼天?!)を祀るものとがあるのでは?
そして、その違いは境内にキツネが居るかどうか?
 
Wikipediaによれば、
"荼枳尼天(だきにてん)"の起源であるインドのダーキニーは、
裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女である。
ヒンドゥー教の神シヴァの妃とされたカーリーの眷属として、カーリーと
ともに屍林をさまよい、敵を殺し、その血肉を食らう女鬼とされた。
ダーキニーは初期密教では羅刹女の類で、中期密教では大日如来(毘盧遮那仏)
化身した大黒天によって調伏され、降三世の法門によって仏道に帰依した。
人の死を半年前に知り、死ぬまではその人を加護し、
死ぬと心臓をとって食べると言われる。
平安初期に空海が伝えた真言密教では、荼枳尼胎蔵曼荼羅の外金剛院
南方に配し、奪精鬼という閻魔天の眷属としている。
半裸で血器や短刀、屍肉を手にする姿であったが、
後の閻魔天曼荼羅では薬袋らしき皮の小袋を持つようになる。
さらに時代が下ると、裸身から白狐にまたがる形へと変化し、
"荼枳尼天"と呼ばれるようになった。
 
ということは、やはりキツネがポイントですよね?!
 
キツネは、日本では古来より古墳や塚に巣穴を作り、
時に屍体を食うことが知られていた。
また人の死など未来を知り、これを告げると思われていた。
狐媚譚などでは人の精気を奪う動物として描かれることも多かった。
このキツネと"荼枳尼天"が日本で結びついたことが、
神道稲荷と習合するきっかけになったとされている。
キツネと荼枳尼の結びつきは既に中国においても見られたが、
キツネに乗る"荼枳尼天"は中世の日本で生み出された姿で、
インド・中国撰述の密教経典・儀軌には存在しない。
 
引用が長くなりましたが、そんなわけで足高貝塚のある足高稲荷神社
日本古来の神道稲荷であるかどうかを確認しに行ったのでした。
イメージ 5
あれま!? 入口の塚状のこんもりとは打って変わって
接ぎ足し、接ぎ足しされた感のある境内ではありませんか…。
しっかりとキツネのオブジェが配されていますね。
イメージ 6
おっと、社殿の後ろにとってつけたような稲荷社(祠)が!?
反対側からも見てみましょう。
イメージ 7
どこかから引っ張ってきたような稲荷社ですね。額絵も風変わりな感じ。
そして崩れかけた屋根瓦にとってつけたような神紋が!?
イメージ 8
豊川稲荷系の神紋なのでしょうか?
社殿の前まで行ってビックリ!!
イメージ 9
足高社」という扁額が架かっているではありませんか。
そして左側を見ると「稲荷社」。真中が「足高稲荷神社」です。
イメージ 10
なぁんだ、鹿島香取神社みたいなもので、2社を合祀しただけなんですね。
期待はずれではありましたが、これも勉強です。
 
ここから北上して神生へも行きましたが、貝塚も古墳もわかりませんでした。
つくばみらい市のHPにあった字(あざ)名を言っても、70年地元に住んでいる
という方ですら「知らない」と仰るのですから…。
住所の字(あざ)だけでなく、香取神社周辺との情報も得ていたのに
iPadともども忘れてしまい、字(あざ)名しか思い出せませんでした。
いま思えば、香取市神生465に神生(かんのう)貝塚があったため
先祖を同じくする一族が常陸国神生(かんの)へ移住したのかも?
との疑問も晴らしたかったのでした。
 
けれど、そもそもiPadを忘れたのに足高稲荷神社へ行けただけで
私としては上出来なので、今日は諦めて帰ることにしました。
イメージ 11
帰りもまた適当に走るほかありません。
西谷田川を目指して戻れば間違いないのでクネクネ道を下りました。
私の目には入り江にしか見えません。ずっと香取海を走っている感覚でした。
すると突然、こんもりとした丘の横に出ました!?
イメージ 13
これが神生古墳群なのかなぁ…と、道を上がってみました。
イメージ 12
え? 公園ですか?
「きらくやまふれあいの丘」と書いてありますが、
この丘そのものについては言及されていません。
イメージ 16
子どもたちが遊ぶ様子を見ているアーニャ
今日はバイクに乗ってる時間が長くて本当にかわいそうでした。
やっぱり心を鬼にして留守番をさせるべきでしたね。
イメージ 14
「きらくやま」を下りてバイクを走らせていたら
やっと見覚えのある景色が見えてきました。
左側のこんもりが浅間大神の石碑のある近の島!?
その対岸にあたる画像中央あたりに足高八幡神社があります。
 
次は東栗山貝塚東栗山南貝塚ですね。
もちろん神生貝塚香取神社周辺にも再挑戦します。