2/28にバイクで走り過ぎた間宮林蔵記念館を再訪することにしました。
この冬、何度か走った小貝川の土手も、すっかり春の気配です。
が、今日は風が強く、停車しつつ時速20kmほどで走らざるを得ませんでした。
時に、両足で踏ん張っていてもバイクごと飛ばされそうな突風が吹きました。
よもや命がけで間宮林蔵記念館へ行くことになろうとは…!?
おおお…着きました!
この記念館で最初に知ったのが、なかなか子供ができなかった林蔵の両親が
月讀神社へお参りをして林蔵を授かったという事実でした。
直線で13kmもあるのに? と思ったら、江戸時代「三夜さま」と呼ばれた
月讀神社は「二十三夜信仰」で人気の子宝スポットだったのです。
將門ゆかりの神社として、2/14に行ってきたばかりでした。
生家を見ることもできました。
入場料は100円でした(何年か前に行った方が無料と書いておられましたが)。
そして印刷代100円をお願いしますと書いてあるパンフレットを購入。
およそ町史や村史を作成しなかった地方自治体はなかったのではないか
と思われるほど、夥しい数の市町村史が編まれた日本。
そんな市町村名をいともたやすく合併により消し去った日本。
通史編・史料編・文書目録・報告書等からなる『伊奈町史』を編纂していました。
その全てを購入できるわけではありませんでしたが、取り敢えず
『伊奈のあゆみ』(3,000円)を購入し、『伊奈のむかし』を欲しがっていたら
残部の無い中、館長さんが御自身の予備(新品!!)を下さいました!
文化財分布地図も、ほとんど残っていないとのことでしたが、
「つくばみらい市のHPにpdf.なりとも載せるべきです。字名しか載っていないので
場所を地図で検索できず、ご近所で訊いても字名を知らない方ばかりでした」
と申し上げたら、1部下さいました。
押しが強過ぎました?
(いろいろ教えて頂いたので近々御礼に伺わなくては…)
いったい何に興味があるのかと訊かれ、香取海ですと申し上げると
すぐに縄文海進ですねとページを開いて見せて下さいました。
よく場所がわかりましたね~と感心されました。
わからなかった南太田貝塚は、もうほとんど原形をとどめていないそうです。
そして、出土した舟(丸木舟?)を展示してある場所を教えて頂いたのですが、
そこは引き返す形になるので改めて出直すとして、守谷市へ行くことに。
あの橋は水道橋でした。もう一つ先の橋で小貝川を渡ります。
頂いた資料に「台地に暮らした人々」の項目がありましたが、
まさしく対岸に見える相馬郡も台地です。
妙見と言えば将門です。迷わず向かいました。
この坂を上ったら右手にあるはずです。
あれま?! 駐車場と化してます。現況=畑・宅地と書かれていますが。
すぐ先に↑台地が広がっていました。この先↓までが沼端遺跡です。
うわぁ、ここを上がってみたい! と思ってもバイクがあるし
野生動物が出てくる恐れがあるので諦めて、次の下馬木古箸遺跡を目指します。
ただし下馬木古箸遺跡は広大で、縄文と古墳時代の複合遺跡とのことなので
その先端に位置する日光神社をナビに入れてみました。
裏参道に着きました。が、いったい何なのでしょう日光神社って。
この時点でバイクを降りる気が失せていましたが、一応表にまわってみました。
新しい道路をつける工事をしている道の左手を見上げると
古墳っぽい丘でした。例のごとく何の表示もありません。
日光神社という名称もよくわからないので、由緒書を見に行くことに。
これだけではよくわかりませんが、ともかく明治の一村一社の令で
筒戸地区(旧北相馬郡)の神社が合祀されたみたいですね。
筒戸という地名は海人族を想起させますが?
ここが古墳なのかどうかはわかりませんが、上がってみると
すぐ目の前で工事をしているとは思えないほど空気が落ち着いていたので
演奏修業をすることに。
終わったとたん、奇妙な声がしたので振り返るとカラスが3羽いました。
カメラを探しているうちに2羽は飛んで行ってしまいましたが、
25分も演奏していたのに一声も出さずに聞いていたのでしょうか?
まぁ襲われなかっただけよかったと思うべきでしょう。
それよりも恐ろしいのは人間の所業です。
偶像崇拝が嫌いな私に強烈な一撃!?
本殿の右隣に、わざわざ首のない石像を集めて祀って(?)ありました。
それにしても社殿の周囲にはスギの花穂(?)がたくさん落ちていて
倭琴の上にまで落ちてきたのにクシャミもせずに歌えたことに
驚いています。花粉症が治ったのでしょうか?
時の移ろいから取り残されたかのように古い地名や人の営みを
取り敢えず帰宅して今日のお宝を熟読しなくては!