藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

常陸国古墳めぐり

今日は北へ向かいました。
イメージ 1
蛇沼公園です。↑時計は止まっています。このとき、14:25でした。
ここを北上すると蛇喰(じゃばみ)古墳があるというのです。
蛇沼喰った氏族の墳墓ということですか?
名前は後付けの場合が多いし、まさか…と思っても位置的に面白い。
イメージ 3
あれまぁ…古墳時代とは年代がかけ離れ過ぎた稲荷ですか…。
しかも前方後円墳の後円部の墳頂に建てるって?!
このセンスにちょっと驚いたので調べてみました。
 
     神谷にある蛇喰古墳牛久市内の古墳では最大の全長45mの前方後円墳
    古墳時代後期の築造とみられ、肌背塚あるいは赤裸塚と呼ばれていた。
     蛇喰古墳は神谷葡萄園の一角にあり、この稲荷社は牛久市のワイン醸造
    シャトーカミヤの創設者 神谷伝兵衛が出身地の豊川稲荷を祀ったもの。祠は
    シャトーと同じ赤レンガで築かれ、石の鳥居にはシャトー建設中の明治35年
    の年代が刻まれている。
     神谷伝兵衛は明治31年(1898)に葡萄酒づくりに着手すべく、茨城県の原野
    160haを購入・開墾して神谷葡萄園を開園。
     明治36年(1903)9月に醸造場の神谷シャトーを竣工。
     神谷葡萄園にちなみ、土地の一部を「神谷」と名づけた。
イメージ 10
個人の所有物ということ、蛇喰古墳の名に曰く因縁がないということで納得。
 
ここから東へ進み、稲荷塚古墳群を目指します(古墳に稲荷名が多いのはなぜ?)。
イメージ 2
井ノ岡という所を走っていたら突然視野に入りました。↑稲荷塚古墳群です。
この井ノ岡に大同3年(808)出雲大社の分霊を奉斎して創建したという
井岡(ゐのをか)神社があるらしいので探します。
(当然ながら、出雲大社1871年以降の名称で808年には存在しません。
これが杵築大社を指すのか、出雲大神宮を指すのかは判りません)
イメージ 4
ところが入口が見つからず、丘を登ったり下りたり、結局一周半まわりました。
イメージ 5
車一台がやっと通れる凸凹道から見ると、ぬかるんだ道の奥に鳥居がありました。
一ノ鳥居には井岡神社、しかし二ノ鳥居は阿夫利神社?!
イメージ 6
水戸家の寺社改革のせいで常陸国には社名(祭神)変更や遷座が多いですよね。
 
社殿には扁額がなかったので、現在の社名や祭神はわかりません。
イメージ 7本来の井岡神社主祭神大国主命
ほかに日本武尊経津主命、加具土命、誉田別命が配祀され、
香取神社愛宕神社阿夫利神社が合祀されているそうです。
やはり常陸は不思議の国ですね。社史が繋がりません。
 
不思議と言えば、この木(御神木?)も趣がありました。
イメージ 9
井ノ岡を出てから全景を撮ってみました。
イメージ 8
 
先へ進みましょう。今日は霞ヶ浦の手前の阿見町まで北上します。
延喜式内社阿彌神社の論社の一つでもあるという鹿島古女子(こなご)神社へ。
すでに他の2社(阿見町竹来と中郷の阿彌神社)へは行きました。
イメージ 11
西側に鳥居があるため、ここを左折します。古墳みたいですね。
イメージ 12
前方後円墳を含む4基が存在するという古女子古墳群でした。
イメージ 13
鹿島古女子(こなご)神社、鳥居の扁額です。
イメージ 14
鳥居から拝殿を見ると、左手に古墳が見えました。
当社の創建は大同年間(806-810)主祭神は鹿島御子神(天足別命)
御雷之男命、経津主命天児屋根命、宇賀之魂命、水波能売命、大日霊命
を配祀し、境内社琴平神社道祖神社があるそうです。
では、今日の演奏修業はここで。
ということで演奏を始めたら、何やら物騒な音が聴こえてきます。
後で地図を見たら、社殿に向かって右手奥、
道路の反対側に陸上自衛隊舟島射撃場がありました!?
 
しかし、それよりビックリしたのがこちら↓
イメージ 15
牛久市井ノ岡町から稲敷郡阿見町へ向かう途中、突然目の前に現れました!
偶像崇拝が嫌いな私にはさっぱり理解できません。
イメージ 16
帰りにもまた牛久大仏!?
イメージ 17
いったい誰方が、何のためにつくられたのでしょう?
良さがわからず、すみません…。