今日は北へ向かいました。
蛇沼公園です。↑時計は止まっています。このとき、14:25でした。
ここを北上すると蛇喰(じゃばみ)古墳があるというのです。
蛇沼の蛇を喰った氏族の墳墓ということですか?
名前は後付けの場合が多いし、まさか…と思っても位置的に面白い。
あれまぁ…古墳時代とは年代がかけ離れ過ぎた稲荷ですか…。
しかも前方後円墳の後円部の墳頂に建てるって?!
このセンスにちょっと驚いたので調べてみました。
シャトーカミヤの創設者 神谷伝兵衛が出身地の豊川稲荷を祀ったもの。祠は
シャトーと同じ赤レンガで築かれ、石の鳥居にはシャトー建設中の明治35年
の年代が刻まれている。
160haを購入・開墾して神谷葡萄園を開園。
神谷葡萄園にちなみ、土地の一部を「神谷」と名づけた。
個人の所有物ということ、蛇喰古墳の名に曰く因縁がないということで納得。
ここから東へ進み、稲荷塚古墳群を目指します(古墳に稲荷名が多いのはなぜ?)。
井ノ岡という所を走っていたら突然視野に入りました。↑稲荷塚古墳群です。
この井ノ岡に大同3年(808)に出雲大社の分霊を奉斎して創建したという
井岡(ゐのをか)神社があるらしいので探します。
これが杵築大社を指すのか、出雲大神宮を指すのかは判りません)
ところが入口が見つからず、丘を登ったり下りたり、結局一周半まわりました。
車一台がやっと通れる凸凹道から見ると、ぬかるんだ道の奥に鳥居がありました。
一ノ鳥居には井岡神社、しかし二ノ鳥居は阿夫利神社?!
社殿には扁額がなかったので、現在の社名や祭神はわかりません。
やはり常陸は不思議の国ですね。社史が繋がりません。
不思議と言えば、この木(御神木?)も趣がありました。
↓井ノ岡を出てから全景を撮ってみました。
延喜式内社阿彌神社の論社の一つでもあるという鹿島古女子(こなご)神社へ。
すでに他の2社(阿見町竹来と中郷の阿彌神社)へは行きました。
西側に鳥居があるため、ここを左折します。古墳みたいですね。
前方後円墳を含む4基が存在するという古女子古墳群でした。
鹿島古女子(こなご)神社、鳥居の扁額です。
鳥居から拝殿を見ると、左手に古墳が見えました。
では、今日の演奏修業はここで。
ということで演奏を始めたら、何やら物騒な音が聴こえてきます。
後で地図を見たら、社殿に向かって右手奥、
道路の反対側に陸上自衛隊舟島射撃場がありました!?
しかし、それよりビックリしたのがこちら↓
偶像崇拝が嫌いな私にはさっぱり理解できません。
帰りにもまた牛久大仏!?
いったい誰方が、何のためにつくられたのでしょう?
良さがわからず、すみません…。