藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

讃岐国鵜足郡

私の生まれ故郷 宇多津は、明治32年(1899) 4月1日に郡制の施行により
阿野(あや)郡・鵜足(うた)郡の区域をもって綾歌郡となりました。
これに伴い廃止された鵜足郡(うたぐん・うたりぐん)は、古代、
津野郷・二村郷・川津郷・坂本郷・小川郷・井上郷・栗隈郷・長尾郷
から構成されていました(のち井上郷から岡田の4村が分離して岡田郷が成立)
 
              ①津野郷 – 宇多津・東分・土器・土居
              ②二村郷 – 東二(ひがしふた)・西二(にしふた)・西分
              ③川津郷 – 川津
              ④坂本郷 – 東坂元・西坂元・眞時・川原
              ⑤小川郷 – 東小川・西小川
              ⑥井上郷 – 上法軍寺(かみほうくんじ)・下法軍寺(しもほうくんじ)
              ⑦岡田郷 – 岡田上・岡田下・岡田東・岡田西
              ⑧栗隈郷 – 栗熊東・栗熊西・富熊
              ⑨長尾郷 – 長尾・炭所東・炭所西・造田・中通・勝浦
 
現在では県庁所在地たる高松より西または西南の田舎的扱いを受けたりしますが、
ずっと以前、聖徳太子の特集番組を見た際、オープニングで映し出された古地図の
四国に「鵜足津」の地名のみが表記されていたことでも歴史の長さがわかります。
 
古代、土地の境界は川に象徴されることが多かったのではないでしょうか?
鵜足郡の場合、それは土器川でした。
現在は丸亀市になっている土器町も、古代は①津野郷に属していました。
その土器川の源流は⑨長尾郷 勝浦にあります。
ここは現在では徳島県との県境に近い地域と言えます。
要するに、鵜足郡とは、海岸沿いの宇多津から阿讃山脈の奥までという
極端な標高差のある縦長の地域で、昨日通行止めだった明日香村~吉野と同じく
現代も古代もこの道以外にはないと言えるほど重要な讃岐~阿波ルートなのです。
 
このルートを何度も通って、徳島県の美馬や香川県の勝浦へ行きました。
今日は友人に「秋の山を歩きたい」と言って勝浦へ。
イメージ 1
近年は全国的にきれいな紅葉が減ってきているようです。
「子供時代に見た紅葉とは違うね…」
イメージ 2
それでも舗装されていない道を歩くのが楽しみの一つなので。
イメージ 3
しかし、まだまだヤブ蚊が沢山いますね。
イメージ 4
少し開けたところがあれば演奏修行したいのですが…。
イメージ 5
竹が目立っていますね。
そういう場所はかつて修験者や修行僧が居た可能性がありそう…。
イメージ 6
「ほらほら、こういう所に庵みたいなものがあったかも?!」と妄想を
たくましくするのは、千年以上前、勝浦が真言密教の行場の一つだったから。
イメージ 7
あ…、近代的な場所へ出てしまいました。
が、40分あまり演奏修行もできたし、良い空気をいっぱい吸えました!
 
イメージ 8
いったんStudio Aikawaに戻っています。
ずっとここに居させて欲しいと思う空間です。
 
京子ちゃんと待ち合わせをしているので、着替えをして向かいます。
坂出の榮鮨さんです。京子ちゃんが予約しておいてくれました。
イメージ 9
地物中心のお鮨屋さんなので、久々にワタリガニを食べられました!
イメージ 10
サバは青森からで、極限まで酢を抑えた素晴らしい〆さばでした!!
イメージ 11
焼き物はハマチのカマ。
このほか野菜サラダや卵焼きなどを頂いてから握り寿司へ。
もうiPadで画像を撮る余裕もありませんでした。
 
榮鮨さんのきちんとしたお仕事ぶりは賞賛に値しますし、
本ワサビの手巻きのような独創も素晴らしく、
香川県にいらした際の一押しとして推薦させて頂きたく存じます。
 
前回は残念ながら月曜で定休日。今回はラッキーでした。
明日は葛城経由で帰宅しますね。