藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

捨身ヶ嶽禅定

今回の帰省では、宇多津から車で30分ほどなのに行ったことがなかった
捨身ヶ嶽(しゃしんがたけ)へ行きたいと思っておりました。
けれど、今週の天気予報は連日雨…。
友人がベンツで乗せて行ってあげると言ってくれてますが…?
 
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取り敢えず、友人が到着するまでに掃除を済ませなくては。
ここでは、掃除機をかけてから除菌シートで拭き、最後に
フローリング用のコロコロをかけて細かい埃などを取り除きます。
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玄関脇のイスもコンパクトなものに変えました。
 
結局、友人も場所を調べてくれて、運転に自信がある人でなければ無理とわかり、
昨日は坂出の榮鮨さんへ行きました。
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先週に続き剣先イカ
そして、やはりお仕事ぶりが光るアワビ!
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光りものはいつもどれも美味しいですね…。
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珍しいところでは高級食材アカヤガラの昆布〆。
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鯛の湯引きも絶品でした。
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まだまだ食べましたが、遊んでばかりはいられません。
帰宅後、夜中に電話で家人に「仕事捗ってる?」と訊くと
「もちろん」と言われたものの、最後に
「明日は出かけないかも…」と言ったのを聞き逃しませんでした。
(家を出る前、原稿が終わらなければコンサートを聴きにいけないと言ってたので…)
とはいえ、善通寺の天気予報は朝からずっと雨。
 
ところが、8時にパッチリと目が覚めて天気予報を再読み込みしたら
雨は15時以降で、それまでは曇りに変わっていたのです⁉
家人が在宅している以上、急いで帰京する必要はないため
即、ZOOMERで出かける準備をしました。
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走り始めた時は少し靄っていました。
多度津あたりで輪郭がはっきりした感じ。
正面に見えるのが、いわゆる善通寺の「五岳山」
(香色山・筆ノ山・我拝師山・中山・火上山)で、最も高いのが我拝師山(標高481m)です。
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久々のZOOMER、さすがに何時間でも乗っていたい走りっぷりです。
善通寺市に入ってから左折。
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凹んでいるところに屋根が見えます。↑あの建物が気になってしようがないのです。
おそらく捨身ヶ嶽禅定の「根本御堂」ではないかと…?
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出釈迦寺を過ぎてから「奥の院禅定参道口」の表示を頼りに走ってきました。
釈迦が出現した場所だから出釈迦寺
そして捨身ヶ嶽を擁する山を、空海が師たる釈迦を拝する山として
我拝師山と名付けたのでしょうか?
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どうやらここが捨身ヶ嶽の参道入り口のようです。
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30分と書いてありますが、実際に行った方は40分と書いておられました。
距離にして1.5km、標高差300mを登るとしたら、30分では無理でしょう。
いずれにせよ、今回は雨の予報だったので登るつもりはなく、
ふつうのタウンシューズでやって来ました。
よって、我拝師山を仰ぎつつ「現在地」で演奏修行させていただきます。
思った通り、演奏し始めると太陽がジリジリと照りつけてきました。
薄く日焼け止めクリームを塗った程度では話になりません。
夏の終わりに、こんがりと焼けてしまいました。
 
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出釈迦寺の方へ下り始めると、讃岐富士たる飯野山が見えてきました。
↑の画像左端(瀬戸内沿岸)あたりから走ってきた私です。
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出釈迦寺からは、登ってきたのとは別の道を通って水分神社を目指します。
こんな道ですからベンツでは走れません。ZOOMER最強!
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カラスの先を左折して下ります。
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あ、アッサリ見つかりました。どれどれ由緒書きを拝見。
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むむむ…、何気に核心に触れることが書かれてません?
奥へまわり込むと、我拝師山が見えました。
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社頭へ戻ってゆくとき、筆ノ山を遥拝するかのようでした。
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せっかく讃岐に生まれたのですから空海名跡をまわりたいものの
重要な場所はトレッキングシューズが必要となります。
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もう飯野山の北まで戻りました。あとは土器川に沿って北上するのみです。
 
僅か7歳で、捨身ヶ嶽から飛び降りた空海
当時の「倭斬濃山(わしのやま)」に登って、
「将来は仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。
もし私の願いが叶うとしたら、釈迦如来よ、姿を現したまえ。
叶わぬのなら、一命を捨て、この身を諸仏に捧げよう」
と、断崖絶壁から身を投じたところ、紫雲が湧き、釈迦如来
天女が舞い降りて雲の中で空海を抱きとめたとの伝説が残っています。
 
そののち青年になった空海が、釈迦如来が現われた倭斬濃山を
我拝師山(がはいしやま)と名づけ、釈迦如来の尊像を刻んで
本尊としたのが出釈迦寺、すなわち「捨身ヶ嶽禅定」でした。
山麓の現出釈迦寺が札所になったのは大正時代のことだそうです。
 
かつて…私も断崖絶壁から飛び降りるような覚悟でステージに立ちましたが、
そのステージたるや、墜ちても先ず怪我すらしません。
今は本気で危険度を上げ、危ない目に遭いたいと願う冒険野郎です。