藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

身に余るお言葉、有難うございます!

友人から『レコード芸術(音楽之友社/2020.6.19)の一頁を添付したメールが届きました。
f:id:YumiAIKAWA:20200622215150j:plain
拡大してもハッキリとは読めないのですけれど、私のように音楽雑誌を読む
習慣のない人間は、読者投書欄までチェックされることに驚くばかりです。
引退して4年になる私の、かつての仕事について言及して頂き光栄ですが、
最後の一節がやはり引っ掛かります。
 
HPのメモで時々毒を吐いております通り、
私はこれまで他者の企画にのったことはありません。
CDの収録曲は全て私が選び、各楽曲の版権・契約内容を考慮して
レコード会社を決め、売れるものを作りたい会社側と闘いながら(!?)
これまで音になっていない作品や自筆楽譜と初出が異なる作品などを
重視して組み込んできました。
 
音楽は、人に頭を下げてやるものではないと思っておりますし、
どんなにお金を積まれても自分がやりたい作品しか歌ってきませんでした。
(この際だから書いちゃいますと、某作曲家の歌曲集の収録を300万で依頼され、お断りしたら
幾らでも希望額を払うと言われたこともありましたが、ギャラを吊り上げたわけではなく、
作品との相性の問題で、私より良い演奏をなさる方がおられると思い辞退させて頂きました)
言いたい放題やりたい放題ゆえ、あちこちで恨みを買ったことと思いますが、
心のままに生きたという点では極めて幸せな演奏家生活だったと言えます。
 
ご指摘いただいたプロレタリア歌曲は、CD化したいと思って
ずいぶん楽譜を探しましたが、貧しい日本の音楽出版事情では
もともと出版されていない作品が多く、出版されても初版のみで、
60分強のアルバムに収録できるだけの楽曲が集まりませんでした。
 
守田正義氏作曲の『里子にやられたおけい』は、私自身大好きな曲で
編年体コンサート⑧でも取り上げました。
日々の練習ですら涙なしで歌えたことはありません。
 
邦人作品はずっと冷遇されてきましたので
演奏以前に楽譜探しが大変です。
日本人が邦人作品を演奏することが当たり前になる時代が来ることを
願って細々と演奏活動を続けてまいりましたが、
私ごとき者の一生を費やしても何も変わらないんだと実感できました。
 
一枚一枚のアルバムには、そんな私の思いが詰まっていますが、
全力を傾けても何も変わらなかったことへの無念も滲みます。
いつかプロレタリア歌曲であれ何であれ、普通に研究され演奏される時代が
訪れることを願うばかりですが、そこまで日本があるかどうか…?