コンサート終了直後に札幌へ来たのは、助けて頂いた御礼とご報告のためでした。
申し訳ないことに、私共のミスで、5/13にカメラータへ問い合わせがありました。
眞柳潔氏のお名前が Sankei News に出ていたことに御遺族が驚かれたのです。
それを知って私も非常に驚きました。権利関係は問題ないと聞いていましたので。
今回のDVDは、眞柳潔氏がわざわざ伊福部家へインタヴュー録画をお届けになった際、
「自由に有効利用して下さい」と仰ったため、伊福部家はどう使っても問題ないと
考えておられました。私はむしろ伊福部先生の肖像権の方が気になっていたので
鳥取市まで足を運び、御長女に動画をご覧いただきました。
もちろん撮影者でありインタヴュアーの眞柳潔さまのことも全員にお尋ねしました。
すると「お名前は聞いたことがあるけれど、お顔もご住所もわからない」とのこと。
本来なら、この時点で中止にすべきでした。
それでもなお、「絶対に大丈夫。権利を主張してくるような方ではない」と
強く言われ、恥ずべきことに、そのまま進めてしまいました。
我々にとっての幸運は、眞柳潔さまの御遺族が非常に良心的な方だったことです。
万が一、悪意のある方なら、発売まで待ってから権利を主張されるでしょう。
いったん発売したDVDを回収する事態に追い込まれればダメージは甚大になります。
ところが逆に、「父は喜んでいるはずなので、発売を中止しないように」と仰って
許諾を頂かないまま進めてしまったことをお許し下さった上、お忙しい中、お時間を
割いて下さり「覚書」を交わさせて頂けたのです。お蔭様で発売日を守れました。
こちらとしては順序が逆になって御無礼申し上げましたが、この度の御厚情に対し、
せめて感謝の念だけはお伝え致したく、眞柳潔さまのお墓を教えて頂きました。

ご親切に画像もお送り下さっていたので、区画を数えずとも一目でわかりました。
周囲に真柳家のお墓がありましたので、画像を見ていなかったら、
間違って他家のお墓にお参りしてしまったかも知れません。

山の中腹の見晴らしの良い場所にあって、清々しい気分でスムーズにお墓参りができ、
安堵しました。眞柳潔さまが伊福部先生のお姿を残して下さったことに感謝しています。

「ラスト インタヴュー」の中で、「レッスンの後で先生とお話しさせて頂いた、
あの時間は自分にとっての宝物です」と眞柳さまが仰るのを聞いて、常々同じように
感じていた私は号泣しました。私の場合、記録としては残せていませんが、
生きている限り、記憶から消えることはありません。それが自分の人生のすべてと
言っても過言ではないとの思いを共有させて頂ける眞柳さまに御無礼申し上げた
ことがつらかったので、墓前にて心からのお詫びと御礼を申し上げました。
ここから伊福部先生と眞柳さまの母校 旧制「二中」(現在の札幌西高校)へ向かいました。

先ほどの霊園は、もともとこの「二中」に隣接していたそうです。

伊福部家はいま言う山鼻19条? 南19条西19丁目あたりだったようで、「二中」から
遠いのに大らかな校風が気に入って(?)、わざわざ通ったのでしょうとのことでした。
さらに、もう一ヶ所、どうしても行きたかったのが伊福部先生の奥様の御実家
「札幌勇﨑家」の初代 勇﨑恒次郎さまのお墓です。ブックレットを作成する際、
伊福部・勇﨑両家の略系図を載せたいと依頼したところ、3ヶ月経っても完成せず、
やむなく三代のみに限定しても完成しませんでした。
勇﨑恒次郎さまの没年月日がわからないと仰るのです。私が東本願寺のお墓へ行って
調べますと申し上げたところ、現当主がお調べ下さって、ギリギリ入稿できました!
伊福部先生ご夫妻が、あれほど何度も感謝の念を口にして居られた勇﨑恒次郎さまの
お墓参りをさせて頂くこともまた、私にとっては大切なことなのでした。
何と!! お墓の右手に建てられた「墓誌」には没年月日が刻まれていました。

個人情報云々を考えると「墓誌」全体の公表は憚られるものの、勇﨑恒次郎氏は
札幌財界の有名人で、死亡記事はもちろん追悼記事も数多く出たに違いありません。
研究者が当時の道新や業界紙をあたれば没年月日を調べられたかも知れません。

おおお…「十〇(じゅうまる)」の屋号が!?
ここから「勇﨑恒次郎商店」の札幌軟石で造られた蔵の「十〇」を見に行きました。

まるで、ここだけタイムスリップしたような空間です。さぁて、遅いランチを食べよう!
ということで、予め調べておいた二区画先のサッポロファクトリーへ。

たしか、ここの地下なんですよ。

あ、あった! 花壇のすぐ左ですね。

「PROTEIN BOWL」のロゴを目指して来ました。

花壇の横に陣取って、黄色い「君が空から降りてきた時、ドキドキしたんだ」スムージーと
ローストビーフとほうれん草のサラダを頂きま~~す!

左のサラダボールは、下にびっしり生食用ほうれん草が敷き詰められていました。
健康的なランチのあとはホテルでくつろぎ、夜は再び「棗」さんへ。

ニシンも食べたかったし、甘く煮た栗が入っているという「ウニとイクラの茶碗蒸し」にも
興味がありました。「棗」全店制覇の野望を抱いている食いしん坊オバケの私ですが、
ホテルの朝食が重くて、お昼を過ぎてもなかなかお腹が空きませんでした!?
