藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

日本神話誕生の地?

大分空港往復のつもりが、便数が少なく、同じルートを引き返すのが嫌な私は
行きを宮崎空港に変更! まぁ、せっかちとしか言いようのない性格なんです。
そのため避けて通っていた「日本神話」問題と向き合わざるを得なくなりました。
とはいえ、やはり「阿波岐原」という地名や陵墓参考地(伝承地)は避けたい…。
空港から大分行きの特急に乗る高鍋駅まで 3時間あまり。前回、前々回と
すっ飛ばした場所を歩きますが、一番の楽しみはもうすぐシーズンのです!
 
では、12時なので、空弁・駅弁フェチが機内でお昼を頂きます。
ちっさ! というのは選ぶ時にわかっていました。
ただ、能登半島だけあって、魚醤(いしる)を使っていて、私にも食べられます。
手のひらサイズで1,500円以上というのはビックリながら「復興支援」ですから!?
いやいや…空弁としては美味しい部類に入ります。ごちそうさま。
でも、お腹空いたぁ…。このあと、いつ食べられるのかなぁ?
 
空港から北を目指し、先ずは「皇軍発祥之地」へ。
神武天皇どころか、大日本帝国風?
皇宮神社はすぐ近くの宮崎神宮の摂社かつ元宮とされています。
以前行った上北方の磐戸神社や南方町御供田の奈古神社にも宮崎神宮元宮説がありました。
いずれも古墳に隣接して建てられた神社で、往古、奈古神社から東は海だったとか。
ならば「阿波岐原」という地名の神社へ行く必要などありません。
海岸沿いの神社を回りつつ北上するのはやめ、全面的にルート変更しました。
 
ともかく、奈古神社より西の磐戸神社や南の皇宮神社など海人族の居住地に天孫族
前方後円墳を造り、そうした勢力を統合して宮崎神宮を建てたとの説があることを
記しておきます。その元宮の一つ皇宮神社への坂です。
こういうのが苦手なんですよねぇ…私。
ここを入っていいんでしょうか?
またしても、こういう案内板が!? その隣に「皇宮屋」。皇居跡なのに、ちっさ↓
この先に皇宮神社があり、北西に「下北方古墳5号墳」があるという位置関係です。
案内板がありました。
雨は止んだけれど、ここまでの案内板を見たら、そそくさと帰りたくなっていました。
すると、巨大なクロアゲハが目の前を横切っては舞い上がり、踊る、踊る!?
気持ちを入れ替え、まじめに演奏修行をさせて頂いたら、少しシャンとしてきました。
 
すぐ近くにある宮崎神宮の社殿によって損なわれた部分があるという「船塚古墳」には
神武天皇の船を埋めた塚とか、神武東征時に船をもやいだ場所といった伝承がある…
ということで素通りしました。
思い切って予定を変更し、少し距離のある「佐野原(さのばる)聖地」へ行くことに。
最初の案内板にあった「狭野(さの)のみこと」の「さの」ですね。
古代は発音主体なので、漢字は当て字と考えた方がわかりやすいようです。
「さの(ぬ)のみこと」たる神武天皇が生まれた場所とされているらしいのですが、
神武天皇って実在してたんですか?!
地名の「佐土原」は「佐野原」の転訛なのでしょうか?
佐土原町上田島久保土鎮座の佐野原神社を目指しました。
やはり近くに古墳があるので、それと付会させるのが宮崎の神話スタイルなのかも?
パーキングが見つかったので、そこに駐車して歩いたものの、
すぐ目の前にあるはずの社地への入り口がどこにもありません。
ここまで移動した30分以上もの間、強い雨が降り続けたため、道が泥濘んでいます。
結構な距離を歩いて最奥まで行きましたが、左の茂みに入れるポイントはありません。
やむなくトボトボとタクシーまで戻り、再度マップを確認しました。
「すみません、引き返して一本手前の道を左折、次も左折でお願いします」
ありました! ここを上がればいいんですね!
おそらく上の画像の円い石の碑文が↑ここに書き写されたものと想像されます。
要するに「海人族」の本拠地だったってことでしょうか?
親切な運転手さんが、ここで間違いないか、走って確認に行って下さってます。
そして私は、この台地が円形祭祀場にしつらえられているかどうかを確認してます。
小ぢんまりと引き締まったイメージの社殿です。
見たところ、古代の円形祭祀場を復活させたいとの気持ちが感じられますね。
巨田(こだ)神社から当地へ戻した皆さんの執念こそが神話誕生の源なのかも?
海沿いの神社をやめて、わざわざ来た甲斐がありました。
人が歩く場所は落ち葉が掃かれるためか、苔がビッシリと生えていました。
ここから巨田神社およびの名所たる「巨田の大池」へ行こうとしたのですが、
途中からタクシーでは通れないほど道が狭くなり、バックで引き返したりして
時間が押してしまったことと、これ以上、西へ進むと、高鍋駅から遠くなることから
断念し、もう一つのの名所、日向新富駅に近い水沼神社へ向かいました。
唐突に、右手に鳥居が出現!? 「ここを右折して下さい」
線路を越えるとニノ鳥居があり、神社入り口にあった駐車場にタクシーを停めて
歩き始めると、濃紺にオレンジの蝶…いや蛾が大量発生していました。
気になったので調べると、高鍋町都農町のホームページに出ていました。
キオビエダシャクは蛾の一種で、イヌマキ(ヒトツバ)やナギの葉が幼虫に食べ尽くされる
被害が拡大しており、この食害によって被害木が枯死することがあるそうです。
百羽ほどのキオビエダシャクに囲まれながら社殿へ。
社殿の後方の池が、で有名なようです。
うわぁ…大きい池ですね~~~。こちらが社殿に向かって右手。
↓社殿の反対側にも回り込んで撮りました。
まだ少し早かったようですね。でも、ちょっとだけ咲いていました。
奥ゆかしくて、素敵ですね。来て良かったです。
そして今日の最後は「撮り鉄ポイント」の高鍋鵜戸神社でした。
撮り鉄」じゃない私は児湯郡高鍋町蚊口浦(かぐちうら)の住所に惹かれてきました。
今は「かぐち」の発音でも、過去に当て字された地名を現代風に読む例は少なくないため。
「かこ」なら「水夫」「水主」で、鎮座地の小丸川の河口にピッタリの地名なのですが?
万葉集(3622)に「月読つくよみの光を清み 夕なぎに 水夫の声呼び 浦廻うらみ漕ぐかも」の和歌があります。
完全に妄想の世界に入ってますね…私!?
当社もまた、古墳の隣に創建されていました。
社殿の隣に「神武天皇巡幸傳説地高鍋鵜戸」の石碑があるそうです。
たしかに、社殿に向かって右手に石碑がありますね!
ひえ~~~何ですか、これは!?
皇紀2600年」に建立されたものの、米軍機に攻撃されたと伝わっているそうですよ。
言葉もありませんね…。
高鍋駅へ向かいますと、特急が停まる駅なのに無人でした。
そして、まさかの、階段の昇降ありのホーム!
1,2番線から見た駅舎。
左手に見える階段を、楽器を背負って、キャリーケースを持って昇りました。
蒸し暑い一日の最後に、重くて大変でしたが、本来のペースを取り戻せた感じ。
無事、17:01発の特急「にちりん」に乗れました。大分駅へ向かっていた18:37、
急に強烈な光が身体を刺すように照ってきたので驚きました!

太陽に追いかけられてる? と感じ、だから「にちりん」号なのか…と妙に納得した次第。
明日も頑張ろう!