突然ですが、白亜紀の地層を見に来ました。
タクシーで勝田駅まで戻るプランです。
最初に駅から酒列磯前神社へ向かう道を少し入り、木花咲耶姫神社へ。
細い路地を入ってゆくと、こんもりの上に社が!?
どうやら「大穴塚古墳」の墳丘らしいのですが?
近くに「川子塚前方後円墳」もあり、興味をひかれるところですが、
今日のところは先へ進みます。
大きな神社へ行くのは気が進まないなぁ…と思いながら走っていると
左手に酒列磯前神社旧社地を示す石碑がありました。
右手に登り坂が見えたので行ってみると
水戸家二代目藩主光圀は磯原に「観海亭」を建てて
南朝方の楠正季の子孫たる野口家に下賜(野口雨情の生家ですね)しましたが、
六代藩主は阿字ヶ浦に「比観亭」を建てていたんですね。
おおお…磯崎漁港が見えます!
ここで演奏修行して階段を下り、タクシーに乗ったら巨大な鳥居が!?
タクシーの中から酒列磯前神社の鳥居だけを撮り、今日の目的地へ。
海沿いの道を走って「清浄石」を探したものの、見つかりません。
結局、再訪しました。
あったのは字が朽ち果てて読めない「大洗県立自然公園特別地域(?)」の看板だけ…。
次の目的地は釜神社でしたが?
何となくおどろおどろしい雰囲気に負けて…
ここで失礼してしまいました。…で、またしても再訪↓
そして縄文海進時の海岸線が見られる釜上神社です。
かつて海だった場所を走ってきたわけですが、
この地層を目の当たりにすると何のために建造物があるのかが謎ですね…。
かつての海岸線を堪能しました。
勝田駅へ着いたら、まだ14時過ぎ!?
14時半の電車で「観海亭」たる野口雨情生家のある磯原へ向かってます。