藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

能登半島

おはようございます。
今日も元気ですが、28日のルートを逆戻りする芸のなさに落ち込んでいます。
27日に能登空港へ飛べなかったため、時間とお金がムダに…!!
落胆しつつも折角来たので出発時刻まで能登半島を回ろうと思います。
 
今回、富山県内で宿泊したのは(立山を除き)失敗でした。
タクシー料金が石川県の1.5倍だったからです!?
駅構内での乗車拒否あり、同じ場所をグルグルまわる遠回りあり…で
ついに「料金を上乗せしますからMapFanの進路通りに走って頂けますか?」と
申し上げて、皆さんとの待ち合わせ場所へギリギリ到達できた次第です。
 
富山県のタクシーに懲りて、今日の氷見行きは中止。
羽咋駅まで行って、能登空港まで4時間の予約に変更しました。
具体的には何も決めていません。
演奏修行なので、地図を追いつつ目についた場所へ立ち寄ります。
 
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午前中からずっと雨だったので、緑がきれいです。
 
1社目は羽咋駅から北東に数分走ったところにある湍津姫(たぎつひめ)神社
建治年間(1275-78)に瀬戸の陶器商人が居住し、当時葺草が繁茂していたところから
「葺崎」と称して弁財天を祀り、明治に湍津姫社になったそうです。
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素通りするつもりが、社紋がウロコ紋だったので瀬戸内の海人族の社かも?
と思い演奏しましたが、陶器商人だから愛知県瀬戸市の人だったかも…。
 
さらに東へ進み、羽咋市円井町の椎葉円比咩(しひばつぶらひめ)神社
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もとは白山社・白山宮とも呼ばれた延喜式内神社とあるものの、
とても古社とは思えないような空疎な印象で違和感だらけ…。
調べたら、本殿に奉祀された八花形菊紋鏡、神像などが寛政11年に旧社地で
発掘されたとあり、遷座してきたのだとわかりました。また、この拝殿は
明治初年に滝谷村妙成寺33番神堂の拝殿を購入して移築したとのこと。
 
もう一つの椎葉円比咩神社へ向かうべく、ここから真西へ走りました。
そして釜屋町の釜屋神社から北上し、新保神社、猫ノ目白山神社
3社ほど素通りし、一ノ宮気多大社の不動坂に鎮座している瀧屋神社へ。
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珍しく運転手さんが神社のことをよくご存知だと思ったら、
羽咋タクシーでは唯一、観光ドライバーの資格をお持ちでした。
それで海沿いにもう一つ椎葉円比咩神社があると教えて下さったのです。
しかし、なぜ同市内に同名の神社があり、片や延喜式内社なのに
「円」を「つぶら」でなく「まる」と読ませているのでしょう?
 
韮崎市円野(つぶらの)町に反正天皇の皇女円(つぶら)比女が祭神の宇波刀神社があり、
ここ柴垣町の地名は反正天皇の丹比柴籬(たぢひのしばかきのみや)と同じなので
祭神の椎葉円比咩之命反正天皇の皇女円比女と考えるのが自然ですし、
雄略帝の御代に創建されたと伝わるのも、円比女と雄略天皇が従姉弟
あたるため、わざわざ年代を合わせたのかもしれません。
 
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延喜式神名帳』に「能登国羽咋郡14座(中略)椎葉円比咩神社」とありますが、
明治6年柴垣神社と改称し、明治12年に「椎葉円比咩神社」に復したそうです。
なお同市円井町椎葉円比咩神社の祭神は奇稲田豊麻奴良比咩命でした(←いったい誰?)
 
日本海に面した延喜式内社「椎葉円比咩神社」の鳥居をくぐると
私の大好きな社叢、広大な極相林でした!!
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「何だか古墳みたいですね」と言いながら歩いていたら、古墳でした。
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しかも「柴垣親王塚古墳」と命名されているではありませんか!?
 
後日、反正天皇の生誕地とされる淡路島の「瑞井」へ行ってきました。
 
さて、次は運転手さんの実家があるという志賀町の古社へ案内して頂くことに。
通り沿いにあった笠嶋神社。神紋が「桜」だったので撮っておきました。
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ここから数分で、いやがおうにも期待が高まる道に入りました!
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同じく志賀町身代神社。地図には「大穴持身代神社」とありますが?
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石川県神社庁は「古来より延喜式大穴持像石神社と称せられ」としたものの、
折口信夫博士は一ノ宮気多大社隣接の大穴持像石神社を支持していました。
ほかにも同名の神社があって、天明年間より社号争論がおさまらないため、
明治6年4月、当社はついに身代神社と改称したそうです。
地図にあった「大穴持身代神社」は大穴持像石神社と名乗れないことへの
抵抗を示した結果だったのでしょうか?
 
今日の最後に行っておくべき神社として、伊布岐神社を選びました。
石川県神社庁は「古来、旧松の木村の産土神として鎮座」としています。
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ただ残念ながら、訪れる人が少ないのか、草ボウボウでした。
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ここ能登半島にも伊福部氏の祖神が祀られていたんですね…。