藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

蔵王山採石場

演奏修行をしていると、さまざまな動物に出会えます。
7月3日には竹生島龍神の原形のような生き物(?!)を目にしました。
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立派な手(?!)と尻尾ですねぇ…。
中国伝来の想像上の獣とされる龍ですが、日本人がそれを描くにあたっては
身近に居る爬虫類などを参考にした可能性もあるのでは? と感じます。
 
竹生島から長浜へ戻り、今度はタクシーで山間部を目指しました。
米原市吉槻(旧 坂田郡伊吹町吉槻)吉野神社
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ここで気持ち良く演奏していたら、楽坐を組んだ中央あたりにボトン…と
ハチが落ちて来ました!! しかもブラウスの裾を這いまわっています!!
思わず歌詞を間違え、間違えたショックで演奏を中断してしまいました。
私は弾き歌いのレコーディングでも数時間のうちに一度間違えるかどうか…
なのに、ここまで演奏修行してきてあっさり止まってしまうとは。
こんな私に研究を続ける資格があるのでしょうか?
実はこの件だけでなく、2日の夜、倭琴の手入れを怠り大変なことに!!
 
帰宅後、家人に話すと「倭琴に対するテロだね」と言われました。
もちろん私もそう思いますし、何よりメンテナンスに出さなくてはなりません。
その前に、近場で倭琴の調子をみようとバイクで出かけたら
30分ほどで雷が鳴り始め、屋根付きバイクでもびしょ濡れに!?
元々蔵王山があった「つくば山採石場」まで90分かかりました。
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すでに山の形はわかりません…。
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山がスッポリと削られてしまったため背面が透けて見えています。
金嶽神社の碑がありますが、元は蔵王権現でした。
由緒書によれば
天正2年(1574)に当地へ来た小高知常が吉野の蔵王大権現
当地蔵王山山頂に勧請したところ、翌天正3年(1575)に落城し、小高知興が立野に
遷祀した。山頂元宮は昭和50年(1975)採石場にかかり、山麓の現社地に遷座
 
現社地にはこの地方では最も古く大きいという五輪塔(高さ約3.6m)がありました。
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永正12年(1515)、天台の僧侶 頭白上人が母の供養のために建立したのだそうです。
この花崗岩製の五輪塔の東隣に拝殿と本殿が建っています。
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蔵王山の採石事業のあおりを受けて遷座した金嶽神社
いつ「峯」と「御」を合体させた社名に変わったのでしょうか?
神社は昔も今も様々な事情で、祭神を変え、社名を変え、鎮座地を変えています。
当社の場合、五輪塔の西にある石像などから、元々寺などがあったのではないか
と推測されますが、確たる文献が残っていないようです。
2006年に土浦市になる前の新治村の村史をあたりたく思いますが、それさえも
1955年に藤沢村、斗利出村、山ノ荘村が合併してできたというので僅か50年…。
等々考えているうちに雨があがっていました。
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うわっ、虹だ!! 雨降って地固まる…かな?
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