藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

新治

古事記』第12代景行天皇の皇子 倭建命の東征の場面に
新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」とあります。
そこで明治以降の新治郡とは違う、奈良時代律令制度下の新治郡の地方行政の
中心的機関 新治郡衙(筑西市古郡)へ行ってみることにしました。
(地名の表記は『和名類聚抄』では爾比波里、『古事記』では邇比婆利)
 
ところが、地図をグルグルまわす女の代表たる私、いつものように迷う迷う!?
一つ筋を間違えたら真っ直ぐな道など無く、東へ戻るつもりがどんどん西へ。
とうとう川の土手にぶちあたってしまいました。調べたら谷田川でした。
見ると、蓮のようなものが群生しています。
牛久沼と似てるな…と思ったら、地図に「牛久沼東谷田川河口」とありました。
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土手にあがって写真を撮っていたら視線を感じたので振り向くと…
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こんなところにハクチョウのレプリカが? と思ったら、動きました。
「かに道楽」のカニみたいだなぁ…と思ったら、生きているようです。
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あ、これは先日ヒナが一羽いなくなったとニュースになってた茎崎橋の親子だ!!
全員が土を掘って夢中で何かを食べています。
人からエサを貰ったりしているので、近づいても平気。堂々たるものです。
近くで見たらとても大きく、相撲をとっても勝てそうにありません。
太った太ったと言ってもコブハクチョウの胴周りにすら敵いませんでした。
かなり写真を撮ったので、30分前に間違えた地点まで戻り、北上することに。
 
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途中、たくさんの神社がありましたが、目的地まで距離があるため
ともかく先を急ぎました。↑こちらは地図に船宮神社とありました。
 
やっと着いた大國玉神社↓、最寄駅は「大和」という念の入れようです。
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延喜式神名帳に記された式内小社「真壁郡一座 大國玉神社」に比定される神社。
しかし天気予報通りの雨で座れる場所などありません。
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あれ? なぜかこの木の下だけ乾いていました。
 
大國玉神社から約10分で到着。
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「ふるごり」と発音するんですね。
この通りに面している久地楽神社
伊福部昭先生が敗戦直後に久次良神社のある日光市久次良に移り住まれたことは
有名ですが、クジラ地名は全国に残っています。
豊後大野市三重町久知良下妻市鳥取市福部町久志、御所市櫛羅
瀬戸内市邑久町福中久志良 etc. 久白(クジラ・クシロ)という苗字もありました。
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奥のこんもりとした丘は古墳のようですが、蜘蛛窟かも?
 
あとで整理しなくてはならないことだらけですが、帰り道で収穫がありました。
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桑山神社。6月12日に行った蚕影(こかげ)神社がらみです。
通称蚕影山神社の祭神は金姫筑波山神社の姉(!?)だそうで、
これを筑波山神社の「本殿の神体=神衣(かんみそ)」と絡めてみると、
神衣を織るためには蚕の繭が不可欠。で桑山神社
近くを流れる小貝川は養蚕を表わし、鬼怒川は川とする説があります。
謎解きは楽しいなぁ…とバイクをとばしていたら雨があがってパステル色の空!!
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19時前に月が見えました!!
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こちらは19時15分過ぎに撮った夕焼け。
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これは西谷田川で、最初に迷って行った東谷田川と長いV字をなしていて
合流地点が牛久沼ということのようです。