藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

阿讃山脈

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今回の帰省は、ここ三霞洞渓谷を訪れるためでした。
美霞洞温泉」へは子供時代から何度も連れてってもらいましたが、風景などを
楽しむタイプの父ではなかったため、三霞洞渓谷は知りませんでした。
地図を見ると「みかど」の表記は他に「三角」がありますね。
讃岐で唯一の一級河川たる土器川上流の三霞洞は、昭和の初め、
「讃岐十景」の一つに選ばれたそうです。
中でも「雄淵・雌淵」には、昔、大蛇が住んでいたという伝説があり、
大干ばつの折、空海が古式に則って雨乞い祈願をした所とも言われています。
 
前日行った竜王神社も、粟井ダム建設前はこんな渓谷に鎮座していたのかも?
 
今でも深さがわからず、神秘的な雰囲気を湛える「雄淵・雌淵」ですが、
上の画像の手前、左上には龍神の社殿と鳥居がありました。
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社殿が苦手な私は、もちろん足を運んでいません。
「雄淵・雌淵」に直行し、演奏修行させて頂きました。
昨日は日曜で、人が多いと演奏できないため避けました。
今日は駐車場に自家用車が一台停まっていただけで
すれ違う人もありませんでした。
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このように遊歩道が整備されているので休日は子供連れが多く、
夏休みには「雄淵・雌淵」で泳ぐ子供も居るそうです。
 
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行けども行けども建物がないので不安になった頃、トンネルに入り、
出たらすぐ「道の駅 ことなみ(エピアみかど)」がありました。
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いまや45年前のような質素で小ぢんまりとした風呂屋ではなく、
売店やお食事処のある「道の駅」の中に温泉があったので驚きました。
「雄淵・雌淵」の位置を確認して、再びトンネルをくぐります。
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ちょうどトンネルの左下あたりにあったようですね。
 
ともあれ無事に目的を果たせて良かったわけですが、
実は行くまでの寄り道が悲惨でした。
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あら、黒部渓谷ですって⁉ ちょっと行ってみようかしら?
と軽い気持ちで左折してしまったのです。
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最初は鼻歌気分で走っていました。
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「香川の保存木」がある前ノ川神社の社叢です。
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下から階段であがるとバイクで走った道にぶつかります。
この集落は日当たりも良く、人家も密集していました。
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黒部渓谷が近づくにつれ、かつて人家があったのか、段々畑だったのか、
石組みが目に付きました。
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更に進むと、民家はほとんど見られなくなりました。
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ん? 突然、水面が見えました!
ここ以外は木が邪魔をして、水面までは見えません。
もしやここが黒部渓谷?
iPadを出してマップを見ると、まさに現在位置が黒部渓谷でした⁉
これじゃあ、わざわざ見に来る人は居ないでしょう。
道が狭く、ZOOMERでさえ引き返すための方向転換に一苦労しました。
同じく「渓谷」と言っても、次に行った三霞洞渓谷は駐車場もあるし、
人が行きやすい条件が揃っていましたが…。
 
黒部渓谷までは結構距離があったので、壮大な遠回りになってしまいました。
その上、三霞洞渓谷からの帰途、寄り道した大川山でも大変な目に⁉
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讃岐山脈で2番目に高い大川山(標高1,042.9m)。
讃岐平野から見える山容が美しく、讃岐一の名山と言う人もあるとか。
通行規制の看板もなかったので細い道に入り、頂上を目指しました。
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山道を走るのが好きなのでワクワクしてます。
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だいせんみち」?
ずっと「おおかわやま」だと思い込んでいました。
さっきの標識を拡大してみると「Daisenzan」ではありませんか⁉
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しかし山道の9kmって時間がかかりますね。
しかもラスト2kmあたりから残雪がチラホラ…
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ここで一度ズリッと滑りました。が、まだまだ…
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いや、でも、もうダメでしょ!?
ここでタイヤにチェーンを巻いた軽トラとすれ違いました。
山頂まで1.5kmというところで、道幅も広くなっていたので方向転換しました。
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両足を地面につけ、一気に下ってゆきます。
私は信仰心があるわけでもスタンプラリーをやってるわけでもないので
さっき見た展望台(標高815m)を目指します。
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この展望台からは讃岐平野が一望でき、瀬戸大橋も見えるとのことでしたが?
靄ってる!! 山の北側は日が当たらないので暗くて寒いし…。
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展望台から見える満濃池は雨の少ない瀬戸内海性気候の中で人々の生活を支える
ため池で、貯水量は1,540万平方メートルと県内1位の大きさを誇っています。
その歴史は古く、大宝年間(701-704)に守道守朝臣が作ったと言われますが、
決壊して改修もままならなかったそうです。
それを空海が821年に修復すると名声が響き渡りました。
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空海がここ大川山から満濃池や五色台などを見た可能性は高いと思います。
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なお、文武天皇の御代に役行者が祠を建てたとされる山頂の大川神社
大山祗命と木花咲耶姫命を合祀。
社伝によると聖武天皇の御代、天平6年(734)に大旱魃があり、
時の国司大川神社で恵の雨乞いをしたところ、祠の前の小池から一匹の白蛇が
這い出て竜に姿を変え、天に昇って雲を呼び大雨を降らせたとのことです。
三霞洞渓谷には大蛇、大川神社には白蛇ですか…。
 
しかし、「だいせん」を「おおかわ」と読んでたなんて!?
「てんかわ」と思い込んで素通りしてきた天川神社もアブナイ?
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素晴らしい社叢ですね…。
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天川神社社叢は、昭和55年12月17日に国の天然記念物に指定されています。
「讃岐十景」にも選ばれてました。
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高木層にはスギの大樹(樹高31m・胸高幹周6.7m)もありますが、
アカマツクスノキ、ツブラジイ、シリブカガシ、タマミズキ、ヤマザクラ
イロハカエデなどが混生し、亜高木層・低木層にはイヌガシ、クロバイ、
ナンテン、ジュズネノキ、リンボク、イズセンリョウなどが
原生林の様相を呈しており、シダ、コケ類も豊富に見られます。
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え~~?! 「あまがわ」ですって!!
それで目の前が土器川ときたら、海人族の祭祀かもしれません。
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隣にはなぜか大川神社念仏踊の説明が。
かつては天川神社でも奉納していたんですね。
竜神とは同じく蛇の伝承のある三霞洞渓谷龍神のことでしょうか?
勝浦を中心にかなり広範囲にわたる共同体があったのかもしれません。
ますます興味が湧いてきました。
早く再訪できるといいなあ…。