藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

大井川

おはようございます! というほど早くはありませんが。
やっと取れた新幹線の指定席が、最初に予定していた出発時刻の
2時間後だったため、予定を大幅に短縮しました。
それでもやはり大井川へ行って断層を見たい気持ちは変わりません。
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かつて島田は島だった…‼
当然ながら、↑の土地部分に建っている神社を目指すことになりますね。
 
大井神社のHPによれば、
大井川上流から流出した御神体を拾ってお祀りしていったことで
大井神社大井川流域各所に70社あまりもあったそうです。
それが合祀されたりして現在は40数社になったのだとか。
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もちろん全社まわるつもりは毛頭なく、
上流まで行く交通手段もないため、河口あたりをウロウロします。
何しろ一番の興味は断層を見ることなのですから。
 
しかし、島田市にしてやられました。
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上の延命地蔵の隣にあった案内図です。
右に行って、左に戻る形で下って、神尾駅にぶつかったらまた右へ行き…
どこかに横臥褶曲断層への道標があるに違いないと思って進みました。
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ありましたよ! 「ここより約300m」と書かれています。
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ところが、ここから100mほど歩くと「通行止」!?
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通れないなら、最初の案内図にそう書くべきです。
そして、竹林の入り口の看板にも。
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この程度の崩落など何のその。どんどん進んで河原に下りました。
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ここへ下りた段階で既に200mは歩いています。
今日の静岡は最高気温27℃、真夏のような日差しの中、
帽子もかぶらず、日焼け止めもつけずに歩きました。
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♪どこまで続くぬかるみぞ…状態で、靴の中に砂がザクザク入る状態で
500mは歩いたでしょうか?  川がカーブしているため先が見えません。
もしかして、河原へ下りずに雑木林の中を直進するべきだったかも?
最初の案内図にも横臥褶曲断層の裏にぶつかる道が描かれていました。
 
トボトボと引き返して直進してみたところ、倒木で道が塞がれています。
万事休す。
あとは左折するほかなく、細い農道を歩いた先にあった舗装路は
タクシーに待機してもらった道につながっていました。
結局、コの字型に元へ戻り、竹林の看板の隣にあった会社で訊ねると
「地元のもんじゃないからわからん」と言われてしまう始末⁉
 
こうなると、300mにこだわらず、ひたすら進むしかありません。
運転手さんが「付き合うよ」と仰って下さいましたが、
エンジンをかけたまま歩き出したので
「冷房を切らないためにエンジンをかけているんですか?」と訊くと
「そうだよ」と言われました。
「それは困ります。私の楽器ケースやiPadを置いてありますし…」
ということで一人旅。
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さっきの倍ほど歩いたら↑こんなブロックが⁉
もしかして対岸のように護岸工事をしちゃったとか?
それを打ち消しつつ更に進むと↓
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うわっ?!
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これが横臥褶曲(おうがしゅうきょく)断層ですか………。
横臥褶曲とは、コトバンクによれば
褶曲作用が極度に進み、軸面がほとんど水平に倒れたもの。
アルプス山脈ヒマラヤ山脈のような著しい褶曲山脈地域に多く見られる。
 
島田市博物館HPには「竜門の滝」背面の
県指定文化財 天然記念物横臥褶曲が掲載されていました。
 
約7千万年から1億3千万年前の海底に、乱泥流によって堆積した
厚い砂泥層(タービダイト)が、その後起こった大規模な褶曲運動によって
著しく褶曲し、赤石山脈が形成されました。
「竜門の滝」の背面に露出しているのは、横に曲がった地層です。
普通は表面に出ても容易に崩れてしまいますが、
ここでは珍しく鮮明に見ることができます。
 
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こちらが↑今日撮影した「竜門の滝」。
道路からでは横臥褶曲かどうかわかりませんが、現在は
山道の崩落および倒木により立ち入りが禁止されているそうです。
大井川横臥褶曲断層の方は
指定文化財ではないため、何の記載もないということでしょうか。
しかし、私にとっては十二分に衝撃的でした。
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さあ、来た道を引き返しましょう。
炎天下、私は何と50分も歩いてしまいました⁉
ただ、その後に全く影響が出なかったので、体力がついてきたってこと?
帰宅後、「約300m」の標識があった位置から横臥褶曲断層までの直線距離を
測ったら約800mと出ました。
カーブを描く川に沿って歩いたので、やはり1kmはあったと思われます。
いい加減な表示はどこの地にもありますが、危険なので止めて下さい。
 
タクシーに戻って再び473号線へ上がり、次は福用駅を目指します。
ちょうど福用駅大井川鐵道の車両が入線してきました。
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「何ですか、この車両は?」
大井川鐵道ですが?」
「SLじゃないんですか?!」
「ああ、SLは日に2本だけですよ」
「ええええええ……」
金谷駅まで行けばSLに乗れるって思ってた自分の馬鹿さ加減にウンザリ。
 
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ここは真面目に演奏修行するほかありません。
八高山の東麓に白光神社があるそうです。
八高・白光とも「ハッコウ」ですね。
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これは? 祭神だけで言うと蔵王権現ですが?
そして境内に登山口がありました。
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私には無理です、ごめんなさい。
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でも、釣鐘堂の↑張り紙によって、社伝では「6世紀後半」
欽明天皇27年(566年?)」に祭祀が始まったとしていることがわかりました。
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では白光神社をあとに、次の神座大井神社を目指します。
が、MapFan は南下して橋を渡るルートを、
GoogleMap は北上して橋を渡るルートを推奨。
で、運転手さんが北上ルートに決定。
最初に苦労して到達した横臥褶曲断層を対岸に見つつ
大井川を下ってゆくと神座大井神社があります。
 
そもそも「神座」という地名が凄いですよね?
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↑これはただのゴミでしょうか?
でも、↓こちらは磐境みたいです。
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社殿は興味がないので素通りしましたが、こんな感じ。
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ここ神座大井神社から更に南下すると
やはり道路右手(大井川側)に伊太大井神社がありました。
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途中まで上がったものの、左手(大井川寄り)にもう一つ神社が?!
大井川の守りだとしたら川に近い方がいいでしょう。
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階段をジグザグに上がる途中、大井川を撮りました。
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社殿は断崖絶壁の上に建ってます。
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そして、社殿の右手には隣の伊太大井神社へ行く道もありました。
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地図上は鎮水神社でしたが、現地には水神社と書かれていました。
「水神山」に祀られた護岸鎮水守護の神なのだそうです。
すると、大井神社が後から「水神山」に鎮座した可能性もあるのでしょうか?
現在「水神山」の周囲は大井川水系の用水路(?)なので
元は「近の島」だったのかもしれません。
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この時点で17時前。
最初つまづいたため、途中を端折って最終目的地へ向かった方がよいかも?
榛原郡榛原中(現 牧之原市中)へは、ここから30分以上かかります。
 
何故そんなに遠くまで行くことにしたのか? と言うと、
榛原の小仁田薬師新義真言宗の始祖・覚鑁(かくばん)上人(1095-1143)
平安時代末期に開いた由緒あるお堂であったこと、
空海高野山で彫った三体の薬師像のうちの一体「薬師瑠璃光如来像」を
高野山 伝法院から遷して本尊としたと伝わっていること等からでしょうか。
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瑠璃殿鎮座の「薬師瑠璃光如来像」は高さ約68.9cm。
17年に一度の御開帳が去年終わったばかりでした。
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また、市教育委員会によると、鎌倉時代から室町時代にかけて活躍した
勝間田氏が穴ヶ谷城の麓に医王山 密厳院を創建したとあるそうです。
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その名残りを見つけました。
穴ヶ谷城跡はこの山の北部にあるようですが?
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小仁田薬師の奥に鳥居があります。ここは登るしかありませんね。
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大山神社でした。現在の祭神は大山咋だそうです。
段違いの平地は「七宇の坊舎を持つ祈祷の大道場だった」ことを窺わせます。
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午後6時。
ホテルへの道すがら見た茶畑の向こうの富士山。
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