藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

中央構造線の旅

初めてやって来た阿波池田。乗り換えのみですが。
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私が宇多津から乗って来たアンパンマン号(特急南風)が高知方面に走り出しました。
が、「徳島」行きへの乗り換え時間が長いのでぼんやりしてます。
特急なのに、宇多津で4分、多度津で4分停車するなど、
とても便利とはいえない土讃線です。
しかも目的地の箸蔵へ行く電車は日に何本もありません。
特急を使おうと鈍行で行こうと時間は変わらないのですが、
最終的に徳島駅へ行くためにはこの選択肢しかありませんでした。
今日は中央構造線を歩く(走る)旅です!
 
なんてことを書いていたら、阿波加茂に着いてしまいました!?
えええ~?? もしかして「琴平」行きに乗って戻るんだった?
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今回は本数も少ないし、よもや間違えることはないだろうとタカをくくり
時刻表を見ていなかったのです…。
それで何も考えず「琴平」行きの隣に停まっていた「徳島」行きに乗った次第。
こんなヘマをするなんて信じられませんが、現実です。
箸蔵寺駅へ来てくれるタクシーを探すのが大変だったのにキャンセルし、
無人駅で降りて、いったいどうやってタクシーを探そうか…と暗澹たる気持ちで
改札口を出たら、目の前にスルスルとタクシーが停まるではありませんか!?
 
「最終的に箸蔵寺へ行きたいのですが、近くに鴨神社がありませんか?」
「直ぐそこですよ」
「それじゃあ鴨神社天椅立神社天戸神社とまわってロープウェイ乗り場まで」
と決め、逆ルートをとることにしました。
 
鴨神社は、阿波では京都の上賀茂・下鴨の元宮との説もあるのだそうです。
しかし社伝は常識的に、貞観2年以前に京の上賀茂神社から勧請とのこと。
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注連縄をかけられた御神木が社殿を囲むように林立していました。
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おおお…噂の葵も祀られています。
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葵があるからといって上賀茂・下鴨の元宮ということにはなりませんが、
11世紀以降、上賀茂神社社領となった時代もあったそうで
両社にどんな繋がりがあったのか調べてみたいと思います。
 
ここから箸蔵方面へ戻る途中に昼間があります。
ヒルマ」とは変わった地名ですが、私は「ヒルメ」の語尾変化?
なんてワクワクしてしまうわけです。
そこに天椅立神社天戸神社があるというのですから行ってみなくては。
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は? なんですか「全国一社」って?!
しかも明治3年までは羽津明神だったというのです。
明治になって突然、神職式内社だったと言い出して改称した?
とはいえ、長い歴史の中で祭神や名称が変わるのは当たり前。
それよりも大事なのは、鳥居下の道路から吉野川に至る田園地帯に
大規模な弥生初期集落遺跡が広がっていることです。
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まだ本格的な発掘調査が行なわれていないとのことで今後が楽しみです。
 
天戸神社の方は吉野川から北に入った支流沿いにありました。
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このように少し高台に鎮座しています。
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今日の運転手さんはなぜか一枚ずつしか撮って下さらないので
同じようなポーズの写真になってしまいました…。
 
この時点で時間がおしていて、箸蔵山ロープウェイ乗り場に着いたら正午でした。
毎時、00・15・30・45 という運行スケジュールなので15分待ちです。
しかも箸蔵駅からだと、阿波加茂駅より20分も早く乗らなくてはなりません。
が、せっかくここまで来たのに…と諦めきれません。
平日でもあり、他に観光客がいなかったので思い切って相談してみました。
すると、特別に、上がって直ぐ下りられるよう手配して下さったのです。
箸蔵駅12:37発に間に合い、本当に助かりました。
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今回は入り口だけでしたが、空海が何故ここに「こんぴら奥の院」を開基したのか
を考える手がかりをつかみ、再訪できれば…と思っています。
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箸蔵山ロープウェイからの景色。
山に守られた吉野川沿いの資源豊かな土地に古代の集落遺跡があるのは当然ですね。
つい現在の交通網で考えてしまいがちな頭を何とかしなくては…。
さあ、午後も四国の中央構造線、丹生の道たる吉野川沿いの旅です。