藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

古代「長ノ国」

今日は徳島市から阿南市へ向かう旅に
来てみたら、ここは古代長ノ国でした。
長・中・那賀・那珂(ナカ)…が重要なのは常識らしいのですが、
無知な私にはすべてが新しく、興奮することばかり。
 
とはいえ、昨日100kg近くあるオルガン搬出の際、一瞬ですが
運送屋さんが手を離してしまい、私一人で支えてしまったため
いわゆるギックリ腰で脂汗を出しながら歩くのがやっと…。
階段は一段ずつ足を揃えながらしか上り下りできず、
和琴ケースを引っ掛けたら大変なので、M先生が持って下さいました。
狭い山道を運転して頂くだけでも申し訳ないことですのに恐縮の極み。
明日は奥様もお付き合い下さるそうで有難い御縁に感謝しております。
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3/5の一社目は勝占神社
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住所は「徳島市勝占町中山」です。ナカノ国のナカ山とはまた…!?
「勝占」の読みは古代は「カツラ」ですよね?
土佐なら「桂浜」が有名ですが、讃岐の鵜足郡には「勝浦」がありました。
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かつてここが海岸線だったとして「出雲系海人」とは?
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むむむ…歩くのもつらい私に一社目からこの参道!?
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延々と上がってきて、最後が急勾配の石段です。
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拝殿・幣殿・本殿と三拍子揃っていました。
ここからは眺望がないため、M先生は頂上へ。
その間、私は演奏修行させていただきました。
 
社頭の前を流れる多々羅川沿いに南下し、多家羅町を目指します。
ここに、今回一番楽しみにしていた巨岩「立岩」があるのです。
が、直接行ける道がないのか、U字に迂回する道の途中にあったのはこちら↓
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え? 地図上には金山神社って書いてあるけど?
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金谷橋で左折したみたいですね。しかし延喜式内社を主張してたとは!?
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鍛冶地名であることは承知して来ましたが、立岩神社境内社とは…。
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なかなかな参道ですね…。
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おおお…鳥居がありました!!
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横にまわってみました。
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これは、やはり人が手を加えているとみるべきですよね?
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どんな窮屈な場所でも、後ろが断崖絶壁でも座るのが演奏修行です。
タタラに関わる物部が斎き祀る鍛冶神の拠点に来られて満足でした。
 
ここからは阿南市に向けて南東に走ります。
(今2020年3月現在このルートを見ると行っておくべき場所を端折り過ぎていてビックリ!?)
那賀川を越えて南下した阿南市長生町宮内鎮座の八桙神社
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多々羅川沿いでは金谷・金山etc.金属地名だったのに、当社は木ヘンのですね。
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しかも、また階段じゃありませんか!?
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由緒がありますね。
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長ノ国造の祖神とは…!? しかし鎮座地は変わってないのでしょうか?
海岸線の変化ともども確認する必要がありますね。
ここからも無駄だらけのルートで申し訳ない限りでしたが、
桑野川沿いの川上神社まで南下したのち
東進して北へ横U字型に回り込んで津峯山(284m)へ登ります。
 
ちょっと記憶にないのですが、そこまでに立ち寄った子安神社
地図を何種類か見ても載っていません…。
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川上神社の住所は阿南市桑野町谷でしたが、
谷どころか、川からは二段階ほど上に棚上げされていました。
かつて流された歴史があるのかも知れません。
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この石段下までは車で上がれました。
 
ここから東へ向かうと、津峯神社の南麓に八大神社がありました。
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記憶がないので、或いは私は痛みのため車内で気絶していて(?!)
M先生が撮影してきて下さったのかもしれません。
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この階段ですからね…(ここまでの行程を考えると疲れ果てて上れなかったはず)
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しかし…二つ引両とは?! 足利氏一門の家紋ですが、
当地に足利家の足跡があったのでしょうか?
もしかすると、二つ引両の「両」の字が「龍」を表すとの解釈があるため
「八大龍王社」→「八大神社」の改称に伴い、「龍」を紋にいれたのかも?
そんな回りくどいことをする理由がわからないので採用不可ですが。
 
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また階段です!?
津峯神社神亀元年(724)、津峯山の山頂に賀志波比売大神(カシハヒメノオホカミ)
祀ったのに始まると伝えられているそうです。
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ここは当然リフトでしょう。階段を300段のぼるのは無理です。
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あれ? HPは津峯神社なのに、津乃峰神社とありますね? 経営が変わったとか?
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社殿までは行かずに、ここで演奏修行です。
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このベンチで倭琴をケースに入れる時、琴柱を1本落としてしまったのでした。
結果的に翌日M先生ご夫妻が探し出して郵送して下さり、
無事もどってきました!! 奇跡のような出来事に感謝感謝です。
 
津峯山に登った時には夕方で薄曇りになっていましたが、
湾の中の近ノ島を見て、海人族の大好きな地形を確認できました。
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まだまだ知らないことばかり。まだまだ知らない場所ばかり。
 
津峯山から下りて、古烏神社を探しました。
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低い場所にある神社は、川に流されたり、兵火に遭ったりして
昔の面影が残っていない場合が多いので期待はしていなかったのですが…
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穴の開いた枠からカメラを入れて内部を撮りました。
「古烏」の名称は「ヤタ烏」に相対するものだと思っているので
足を確認したところ、やはり三本足ではありませんでした。f:id:YumiAIKAWA:20200324075108j:plain
もとは「建比売」ですって?! たしか津峯山が「賀志波比売」でしたよね?
どちらも未だ他所で目にしたことはありません。
 
ここですんなり諦めて帰ればよかったのですが、地図上で
「岐神社」を見つけてしまった私。読めない神社へは行くのが鉄則です。
ところが、車が入れないどころか、人が歩くのも困難な
細い用水路脇を進むしかありませんでした。
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ここは…どう見ても人様のお宅の中ですよね?
でも、もう入って来ちゃったので、あの建物まで行ってみます。
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個人宅の氏神だった…のかも知れません。
が、不法侵入としか言いようがないため、画像1枚のみ撮って失礼しました。
 
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最後に1枚。今日もありがとうございました!