昨夜のブログに対し、「蚕影(こかげ)神社へは行きましたか?」とのメールが!?
「地図で社名を見ただけ。日没のため行く予定だった日枝神社もパスしました」
と返信すると、「筑波山神社の姉神らしいですよ」とのこと。
それは興味津々…、神名とは血縁関係を示す暗号ではないかと思っているので。
相変わらず、神話に出てくる神の名前は全く覚えられないのですけれど、
それぞれの関係だけは頭に入れておくようにしています。
蚕影神社を調べると、通称「蚕影山神社」とありました。臭いますね…。
対馬などでは扁額の表記が変わると祭神が変わったりしていましたから。
家人が在宅していたので昼食の買い物へ行くと、曇天でした。
「これってチャンスじゃない? 日焼けしないし」との理屈で家人を突破し、
懲りずにバイクで行きました。
田井小学校角の看板通りに走って行ったらドンツキに階段がありました。
が、バイクを停める場所が無い!? 入口の羊羹屋さんで護符を売っているようです。
「神社の社殿まで上がりたいんですけど、バイクを停めておくことができますか?」
「うちの私有地でよければ 200円でどうぞ」
というわけで無事バイクを停めて205段の石段をのぼりました。
さすが蚕の神社だけあって高床式の倉(?)があります。
昨日立ち寄った「平沢官衙(かんが)遺跡」にもありました。
なにしろ当地は蚕神信仰発祥の地ということですから恐れ入ります。
しかし、西向きの社殿の正面はこんな眺望で、北にある筑波山は見えません。
いったい何をもって筑波山と姉妹の関係にあるというのでしょうか?
神社入口の羊羹屋さんは、蚕影山神社の祭神は金色(こんじき)姫だと仰います。
金色姫を調べると、筑波山の麓が海だった頃、豊浦湊に漂着したそうです。
途中で「豊浦湊」の看板を見ました。↓こちらのページに諸説が書かれています。
平たく言うと、金色姫はインドの神?
日本の神社は祖神を祀るがゆえに一神教にはなりえないのだと思ってきましたが、
その日本人はなぜ、いつからインドの神に手を合わせ始めたのでしょうか?
明治以降、養蚕が盛んになると参拝者が増え、近年は大型バスも来ていたとか。
その蚕影山神社の金色姫が姉なら、妹もインドの神ということになりますね?
恐らく主祭神ではなく「本殿の神体=神衣(かんみそ)」と絡めているのでしょう。
神衣を織るためには蚕の繭が不可欠ですから。
しかしどんな曖昧さも受け容れて外国の神を参拝できる日本人って凄いですよね。
世界でも稀に見る民族…と言われるはずです。
目下私が研究している縄文時代からモノづくりに関わってきた「物部」との違いは
「物部」が祖神のニギハヤヒを祀っている点でしょうか?
そもそも私が筑波山へ行こうと思ったのは、昔から「富士・筑波」と並び称され
小学唱歌の歌詞になっているにも拘わらず、両山に差があり過ぎるためです。
富士山(3,776m)とは比べものになりません。
では、この二つの山をわざわざ並べる意味は何なのか、それを知りたいのです。
御存知の方、どうか御教示くださいませ。よろしくお願い致します。
インドの女神と知りガックリきた私は、昨日時間切れだった日枝神社へ向いました。
信じられないほど長い参道を今も保持されているようです。
奥に見える社叢の中に日枝神社がありましたが、扁額の社名が!?
「日枝大社」とは恐れ入りました。石碑には「日枝神社」とあり。