藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

崖地名と当て字

崖地名の研究もいろいろあるようで、
中にはアイヌ語との関連に触れている方もおられます。
 
ただ、アイヌ語発音の難しさについては、昔(40年ほど前!?)
伊福部昭先生の『アイヌ叙事詩に依る対話体牧歌』を演奏するために
発音指導をお願いした折から存じています。
伊福部先生は
「この発音は樺太アイヌならこう発音するけれど十勝アイヌならこう…」
という具合に、一つの言葉の発音を地域ごとに区別しつつ教えて下さいました。
 
日本語における方言の多様性を考えても、広い北海道や樺太
まったく同じアイヌ語が話されていたと考えるのは難しいでしょう。
伊福部先生は音更のアイヌ部落で過ごされた小学生の頃に
大正時代のアイヌ語の響きをマスターされ、
樺太周辺の少数民族について研究し始めた北海道大学時代を通じて
年代による"響きのゆれ"、地域ごとの"響きのゆれ"を分析しておられました。
 
その発音を聞かせていただいた身としては
何事も決めつけは危険だと感じていますが、
崖地名に関しては延岡市の大崩山の南(北方町板上)に大保下(おおぼか)、
四国の断崖地として有名な大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)などがあるため
もう少し「ボッケ・ボックィ」地名について考えてみようかと…。
 
先ずは下総国へ向かう道にある東京パーツさんへ。
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「あれ? 私のZOOMERみたいな車体がある!?」
と右ばかり見ていたら通り過ぎてしまいました。
何たること!? 楽器ケースを載せているためUターンが難しいのに…。
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引き返して見ると…アメリカ仕様のライトが!!
ハンドルの角度も希望通りです。
陸送もお願いしたので、あとは四国で受け取るばかり(ワクワク…)
 
東京パーツさんから数分で若草大橋に着きました。
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この有料道路を通るのは二度目。去年、白鳥を見に行った時にも20円払いました。
 
利根川を渡ります。
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それにしても下総国印旛郡には17世紀前半鎮座の鳥見神社が多いこと!
すると、核となる神社からの勧請ということになりましょうか。
むろん社伝に関しても崇神天皇の存在にも裏付けはないわけですが、
1/11に行った3社が三羽烏ということのようです。
 
大森鳥見神社 崇神天皇5年(紀元前93年)創祀?!
中根鳥見神社 崇神天皇5年(紀元前93年)創祀?!
小林鳥見神社 崇神天皇5年(紀元前93年)創祀?!
 
1/11にはこちらへも↓
萩原鳥見神社 孝昭天皇の御代(紀元前475-393年??)創祀?!
 
1/17に行った↓こちらは少し冷静に飛鳥時代
香取鳥見両神 文武2年(698)創祀
もっとも縄文の布瀬貝塚があった土地ですから、大和を追われた物部が
合流したのか、征服したのか…?
 
22社ほど現存するらしい鳥見神社ですが、
江戸時代創建のところへ行く必要はなさそうです。
一社だけ、"コジマ"の頂にある鳥見愛宕神社が気になります。
文政10年(1827)頃に合祀されたとありますが?
愛宕は小高い丘と同義語なので、元々どちらの鎮座地なのかもわかりません。
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小林駅の南を走りながら右手を見ますと、"コジマ"が点在しています。
前にも"コジマ"が!? きっとあれが目指す丘でしょう。
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調子よく走っていたら通り過ぎました。
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何となく視界に入ったので急停止! ここに違いありません。
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階段は4つのグループに分かれていて、計97段でした。
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頂上は樹が密集していて眺望がありません。70段で↑このくらいの高さです。
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頂上はやはり古代祭祀場にふさわしい円形台地でした。
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本殿のまわりにも由緒書はなく、合祀前のことはわかりませんが、
古代祭祀場として造られた独立丘の可能性もありそうです。
 
さて、今日の目的の一つは酒直卜杭や安食卜杭の近くを走ること。
そのため県道12号線に上がりたく、南下するついでに
印西市萩埜の鳥見神社を目指しました。
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ここはデータが見つからなかったのですが…新しそうですね。
この先を右折して土手へあがります。
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来るたびにほんの一部、この道を通っていましたが、
今回は安食卜杭の長門(終点?)まで走ります。
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↑この標識を撮れず、フリー画像を拝借しました。
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中央に見える↑白い長門橋手前の鉄橋までの道は工事中でした。
このあたり道幅が狭いのに交通量が多く、撮影できないまま長門川沿いの道へ。
北上して稲敷市へ向かいます。
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「ここを左折します」とナビに言われて長門川の方へ曲がりました。
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当然、行き止まりですよね…。時々こういうことがあります。
初めての道でナビに頼ると挫折ばかり…。
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元の道へ戻ってゆくと十字路にこんな標識が!?
駒形神社ですって。行ってみましょう。
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看板の上に小さく「巨木の森」とあります。
社叢大好き人間の私が素通りできるはずがありません。
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境内地の周囲が崖っぽい? コンクリートで固めてあります。
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登ってゆくと中学校がありました。
演奏修行しようと思って《其駒》の譜を探したら、持参していませんでした!?
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御神木と本殿。樹齢千年を超えるような木はなさそうです。これで巨木とは…。
 
帰宅後、検索して、もっとビックリ!?
 
駒形神社には八坂神社浅間神社が合祀されているというのです(また呉越同舟?)
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しかし古代祭祀場のような地形で、中学校の通学路にしても
崖を攀じ登ってゆくかのようなのに、創建が1151年?
当社HPによれば、1151年の創建時には約600m南の台地に鎮座しており
江戸時代にこの台地に遷座した可能性もありそうです。
知りたいのは、それ以前の祭祀なんですけどね…。
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元の道に戻って振り返ると、台地ではなく"シマ"でした!
 
ほどなく利根水郷ラインに入り、長豊橋を目指します。
東北東の空に月が見えていました。
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安食を走りつつ、利根川ではなく、反対側の台地ばかり見ていました。
鳥見神社三羽烏の鎮座地が狭く、まるで本署に対する派出所みたいだな…
と感じていたためです。
ここまで来て、初めて安食の地図を詳しく見ました。
そしてどうやら本署らしき場所を見つけました。
この項は完成していませんが、あと一社だけですので脱線を御容赦ください。
 
1/20、安食を再訪。
 
本署、見つけて来ました!
実は大森以外の鳥見神社では演奏修行できていません。
修行ですから、どんなに汚れた場所でも、何も無い場所でも
我慢して座ることを自らに課していますが、
それでも出来ない所があるのです。理由はわかりません。
しかし、矢口(やこう)一宮神社では30分演奏できました。
 
印西市白井市柏市鳥見神社が22社ほどあるが、
ここが印旛の鳥見神社の本宮との説がある。
元々、物部氏がその祖神を祀る鳥見神社を創建したが、
のちに大生部氏(鹿島明神)に駆逐され、現印西市周辺に移住し
各所に鳥見神社を建てたという。
そして栄町矢口の鳥見神社本宮は一宮神社となり、祭神は
経津主命(香取明神)とも建御雷(鹿島明神)とも言われている。
 
このようなことらしいです。
 
1/19に訪れた崖地の最後は稲敷市宇迦神社でした。
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ううむ、この道には駐輪できませんね…。
引き返して手前の道を上がってみましょう。
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おおお…かなり狭いですが、原付なら大丈夫でしょう。
この位置からだと地形がよくわかりますね。
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社殿の位置から撮ると、やはり円形の古代祭祀場のようでした。
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鳥居も社殿も赤いし、ウカ神社はイナリと習合して由緒がわからなくなっている
場合が多いので心配していましたが、キツネは居ませんでした!?
久しぶりに「トヨウカヒメ」の神楽歌を演奏できました。
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