藍川由美「倭琴の旅」

やまとうたのふるさとをもとめて倭琴と旅をしています

山梨市

 
武田王(たけだのきみ)と甲斐武田氏は関係あるの?」
とのメールが友人から届きまして…再び甲州へ。
この点がクリアになれば、これまでの疑問が解決できそうなテーマなのに
私は考えたこともありませんでしたが、
考え始めたら、すぐにヒントが得られたので行ってみることに。
 
記紀における矛盾でもわかるはずなのに
所詮は作り話の日本神話に基づいて神社の社名や祭神を
決めてきた歴史が歴史的事実を凌駕している
ふしぎの国ニッポン⁉
 
紀元前後には百以上の小国があったとされ、
それぞれの国主が国魂を伝えるための歌や
それを伴奏するコトを持っていました。
それらの国々から歌=国魂を奉献させたのが天武天皇でした。
そうして支配権を得たヤマト王権
それぞれ絃の数が異なる各国のコトを統一し、
絃を6本にしてヤマト王権の国楽を決めました。
 
そして国々の歌はヤマト王権の祭祀を担う神楽歌に。
 
現在まで宮中で行なわれている御神楽ノ儀の原形が確立したのは1002年、
一条天皇の御代でした。
そんなヤマト王権の祭祀は、今も威力を有っているのでしょうか?
 
言葉も歌も神話も神も神社も…すべてヒトが作ったものです。
その成れの果てを見聞し、ヤマト王権以前からあった歌を演奏しています。
自然の中で鳥の鳴き声とともに演奏していて
神楽歌のメリスマはこの鳥の鳴き方を模したのではないか?
と感じたりするのは、極めて楽しい演奏体験です。
今日もそんな場があるといいな…。
 
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最初の訪問先は、なぜ今まで訪れなかったのかと後悔した古社。
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立派な門がありますね…。
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門の扁額には「正一位 岩間大明神」とあります。
あれ? 神部神社に来たつもりなのですが?
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案内板のおかげである程度は納得できましたが…
山梨市にも同名の神部神社があり、式内社論争があるのかもしれません。
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この画像を撮った場所を拝殿の位置から見ると、やはり円形台地に近い感じ。
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左手に祭りの櫓の骨組みが⁉
さて、文化財の本殿です。
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拝殿からは想像もつかない瀟洒な本殿でした。
人工的建造物が苦手な私も地元の方が大切にされている様子に心動かされ、
良いスタートが切れました。
 
実は今日は2015年の3月4月5月と甲州を訪れた時に
まわりきれなかった場所を拾って歩く旅です。
たまたま前週お世話になった運転手さんが牧丘町在住とのことで、私が
「2015年に同じ甲州タクシーの運転手さんに金桜神社奥宮があると
教わったので行きたいと思ってるんですよ」と話したところ、
「その運転手はタクシーの担当から離れたので、是非、私を指名して下さい」
と仰ったので、一週間後の今日お願いしました。
ところがそれが運の尽き⁉ こののちとんでもない事態に陥ります。
 
先ずは牧丘町杣口(そまぐち)金桜神社
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鳥居の前に案内板がありました。
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おおお…、金峰山登山道に鎮座する蔵王権現でしたか。
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「古くは大社なり」と書かれていましたが?
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とても趣のある本殿ですね。
「この下に住んでいるんですよ」と仰る運転手さん。
奥宮が楽しみです。
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このくらいまで上がってきましたが、金桜神社と違い、
案内板も鳥居も見当たりません。
にも拘らず、運転手さんは自信をもって杣口林道から右折されたのです。
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最初は舗装されていたのですが、途中から未舗装になり、
タクシーが動けなくなりました。
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「大丈夫ですよ、ここに停めて歩いて、帰りはバックで走りますから」
ということで、どんどん歩いてゆかれます。
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前週からお話ししていたので、よもや場所を御存知ないとは思っていません。
置き去りにされても困るので、私も後を追いました。
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また舗装路になりました。
「もうヘトヘトなんですけど…」
「まだまだですね…」
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「行き止まりですよ…。どうやってここを越えるんですか?」
「おかしいなあ…鳥居があるってきいてきたんだけど?」
「え⁉ 運転手さんは奥宮へいらしたことがないんですか?
鳥居なら地図にあったように右折した角にあったはずですが?」
「じゃあ、さっきの曲がり角まで戻りましょう」
「……………」
私はここまで15kg超の和琴ケースを背負って
20分も歩いてきたんですよ、それなのに謝罪の言葉も態度も無い⁉
 
地図をもう一度見ましたが、鳥居の向こうに道があるみたいですね…。
鳥居はまだ見つけられていません。
あとで私が発見するのですが、「山火事注意」と大書された
真っ赤な横断幕で隠されていて、裏を覗き込まないと見えません。
その横断幕の先に参道(?)がありました。
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たしかに道祖神のように見えなくもありませんが…?
またしても、どんどん歩いてゆかれます⁉
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「鳥居もありませんし、私はもう下りますよ」と先に林道へ戻りました。
引き返してゆくと横断幕の裏を見通せたので、鳥居が目に入りました!
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これが参道ですか…。
運転手さんは「鳥居が見つかったんだから行ってきて下さい」と仰いますが、
「先程のロスが1時間、ここから奥宮往復が30分となりますと
予定していた神社がまわりきれなくなります。次へ行きましょう」と断念。
 
次は乙女湖に隣接している金峰神社です。
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右手にダム湖を見ながら階段を上ります。
元々この場所にあったのかなあ…?
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逆L字型に曲がって更に階段を上りましたが、これはちょっと⁉
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ハチの巣だったら大変なので、即、降りました。
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もし天気が良くても金峰山は見えそうにありませんね。
すると、甲斐国金峰神社および金桜神社は全て
金峰山の見えない場所にあるってことですか?
 
地図を見ると、乙女湖の少し北に「牧丘の千貫岩」があります。
ナビで4分と出たので行ってみました。
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大き過ぎて上手く撮れないので、アップにしてみます。
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ダメだ…、なんのことやらわかりません…。
私のような者には、時間の無駄でしたね。先を急ぎましょう。
ここからは焼山峠を通って206号をひたすら下ります。
 
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牧丘町「北原金峰山」です。
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しかし、道路の反対側に鎮座する神明社の方が気になりました。
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なにしろ祭神がアマテラスではなく、オホヒルメですからね。
しかし時間がなく、素通り…。
更に下って、牧丘町西保中の笠石大明神を探します。
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「県指定文化財」でありながら、この大まかな矢印はなんでしょう⁉
この左手の坂を登ってみましたが、一面の葡萄畑‼
直進して鳥居を探そうとしても見当たらず…。
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やっと案内図を見つけて照合したところ、民家の敷地に入るほか無さそうです。
恐る恐る右折すると、目の前に汗ダクの御当主が⁉
「すみません、笠石神社へ行きたいのですが?」
「ああ、それは良かった。さっき草を刈っといたから歩きやすいと思いますよ」
「敷地内を通らせて頂いてよろしいのでしょうか?」
「ええ、どうぞどうぞ」
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ヤギさんも歓迎してくれました!
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先が見通せないので不安になりますが…
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やっと鳥居が見えました。これでは下の道からは見えませんね。
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石段というより、石積みを上ります。が直進はできません。
社殿に向かって右手から迂回します。
古社なので、真ん中は神の通り道という考えからかもしれません。
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笠石とは、社殿の背後に巨岩が重なっている状態を言ったのでしょうか?
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本殿は拝殿の奥の穴みたいです。
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巨石は、もっとずっと上まで重なっているようでした。
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あの御宅から入らせて頂いたんですね…(右上は葡萄畑)
感謝しつつ笠石大明神を後にしました。
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ここで標高750m以上だったとは…(かなり下りた感じがしましたが)
すると、乙女湖は? いま調べたら標高約1500mでした。
 
ここからまた一気に下って、山梨市駅方向に向かいます。
境内地が石器時代縄文時代の遺跡と言われている七日子神社です。
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本殿の下に巨大巌座ありとの情報を得ていたのに
夥しい数の祠にあたったのか、すぐ外に出てしまいました。
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この様子だと、近づいても見えなかったかもしれませんね。
 
そして、次が県内で最も古い八幡宮を自認している大井俣の八幡神社です。
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これはまたかなり横長な拝殿ですね…。
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重要文化財が9つあるとか書かれていましたが、
創建が859年なら、武田八幡宮の方が古いことになります。
いずれも確たる証拠はないのでしょうけれど。
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今日はムダに歩かされたので疲労困憊してます…というか、逆光でしょう?
ともかく、何とか甲府に到達できました。