年一回のタケノコ掘りの日です。
岩井城址へ向かっています。


偶然お目にかからせて頂いたのは↓この日の最後でした。
有り難い御縁をいただいたお蔭で、古代の移動ルートにつき、
私なりにではありますが、頭を整理することができました。

幾度も引用している図ですが、これは右下の立木貝塚に建つ蛟蝄(こうもう)神社へ
現在「コーモー」と呼ばれている下総國の延喜式内社蛟蝄神社は、
延喜式神名帳に「ミツチノ」とあり、2012年12月29日に初めて訪れました。
住民の方々にお訊きして奥山の台地へ上がり、未だにどの道を通ったのか
わからないまま、遭難寸前に西端から台地を下りることができたのです。
しかし、王子神社へは行けないまま…。
根本様に案内して頂いてようやく2021年に王子神社へ行けました。
ただ、その時、疱瘡神の石祠があったはずとお聞きし、
「伊福」を辿る旅を始めていたので、是非ご案内いただきたいと
お願いしたところ、ボランティアの皆さんで道を整備しているので
そのうち歩いて行けるようになりますよと仰って下さいました。
そして去年、ようやく整備できましたよと言われたのですが、
水曜が雨で潰れて行けず、今日こそは…と意気込んで来たわけです。

画像左が岩井城のある台地。右側が鎌倉街道が通っている奥山~押戸です。

連休なので、田植えが始まっていました。

道の左側には、岩井城整備隊の皆さんの車が停まっています。

私もバイクを停めて登ります。

一年を通して水曜日に整備を続けている皆さんのお蔭で、
地主さんがタケノコ掘りを許可して下さっています。

竹の手すりをつけて下さっているので登れますが、勾配がきついです。

おはようございます! 今日は5人お見えになっていました。

ちょっと判りづらいのですが、タケノコの頭が出ている場所に
わざわざピンクの印のある棒を立てて下さっていました!!

皆さん流石ですね。タケノコは穂先が黄色いものが新鮮で瑞々しいので。
土から頭を出すと光合成をして緑色に変化すると同時に、えぐ味が増しますよね。
↙ここではいつもボランティアの皆さんとクロアゲハが迎えてくれます。

印をつけておいてあげたから、あとは自力で掘りなさい
ということで、次々と数本掘ったら演奏修行です。

実は、奥に稲荷社があるらしく、そこでやって欲しいと言われ、
「人間の歌をキツネに聞いて貰う理由がわからないので…」と
屁理屈にもならないことを言って、台地の真ん中で演奏しています。

「それよりも、木の芽ですよ!!」
うっかり忘れてしまうところでした。

「次は、あの太陽光パネルがある少し上まで行くから」
「鎌倉街道の案内板がある入り口ですね」

ここへは何度来たかわかりませんが、文字がかなり風化してました。

あの小さな祠の横にトイレを設置して貰ったそうです。

それならボランティアの皆さんも安心してくつろげますね。

「あ、その先を右へ」
「え? 道はありませんけど…」

「いえ、道らしくなってきました」
とはいえ、背負っている楽器ケースが引っ掛かりまくり!?

「疱瘡神ですよ」
「ホントだ!! 他にも石祠があるようですね」

「こちらは真下のお宅が奉斎している浅間神社です。この台地からは富士山が見えるので

「えええ~~~!? いま私、雷神を研究し始めたところなんです」
というか、疱瘡神=伊福部神=雷神? との仮説を立てているので大興奮。
それで演奏修行していたら、根本様は「キンランだ!」と興奮しておられました。

キンラン(金蘭)はラン科キンラン属の多年草で、地生ランの一種。和名は黄金色の花の色に由来する。
もうお一方は、岩井城址のタケノコより柔らかそうなものを掘って下さっていました。

これで合計10本になりました。アク抜きが大変です。

鎌倉街道沿いにはタケノコがたくさん残っていました。

今日も楽しい半日を有難うございました! 疱瘡神と雷神かぁ…。